コーヒー・ブレイク(34)余寒のころ
2017.2.11
昨年は咲かなかった胡蝶蘭、少し反省して気合を入れて育てたせいか、今年は花を付けた。花屋に売っているような豪華さなどない。一本の茎に蕾を5つ付けるのがやっとだが、それでも咲けば嬉しい。
立春を過ぎてからの寒さを余寒と言うのだそうだ。先日新聞で仕入れた豆知識だ。厳しい余寒がしばらくは続きそうだが、この季節窓の外を見ると、まだまだ蕾は固い花桃の枝に、シジュウカラやメジロ、ウグイス、ヒヨドリなどが入れ替わりつがいでやってきては飛んでいく。彼らは年中忙しそうだ。庭の土を掘り起こしたりした跡には、気が付くとジョウビタキがやってきて、虫でも探しているのか、なかなか目ざといと感心する。
昨年末に母を亡くした。長年の患いから解放されて安らかに逝った。母を看る子供は私一人で、順序を違えるわけにはいかないという気の張りから解放されてみると、今度は気が抜けて今一つ活力が湧いてこない。大きな制約が外されたはずなのに、である。
いつまでも子離れしない母が煩わしく思えた頃もあった。そんな母を反面教師と意識して過ごしてきた。しかし今気づけば私も、母が病を得た年齢がそう遠くないところまで来ている。命の繋がりということで言えば、母から渡されたのは確かに生のバトンだが、それは同時に死のバトンでもある。人が死に向かう姿を、身をもって教えてくれる親という存在は、ただもうそれだけで立派な教師なのだと、改めて厳粛な思いで受け止めている。生き終える日がよりよい日であるために、私もこれからが本物の人生となるのだろう。