コーヒー・ブレイク(22)サン・マルコ美術館にて


2015.1.25

 若い頃から「いつかはフィレンツェ」と憧れていたイタリアの街へ、思いがけず行けることになったのは2000年だった。街全体が美術館なので見所が多過ぎて困るわけだが、大きな楽しみの一つが、フラ・アンジェリコのフレスコ画“受胎告知”を蔵するサン・マルコ美術館だった。もともと修道院だった建物にこの日観光客は少なく、中庭の回廊の台座に腰を下ろしてのんびりとその空間を楽しむことができた。56歳のドイツ人の男の子が二人、元気に走り回っていたが、東洋人である我々が珍しいのか、より腕白そうなほうが近づいてきては人懐こい顔で覗きこんだりしてくるのが可愛くて、彼らの遊ぶ姿を目で追いながらしばし楽しい時を過ごしていた。

 その階段を上り切った正面の壁に、何の前触れもなくいきなりあの有名な“受胎告知”を見た時の感動とともに、あの親子の姿は今でも私の心に深く刻まれている。

       フラ・アンジェリコ “受胎告知” 

大天使ガブリエルの、丁寧に描かれた羽の一枚一枚がきらきらと輝き、500年以上も前の作品とは到底思えない美しさにただ圧倒される。

 建物の中に入り展示物を見て回っていた時、再びその腕白小僧を見たが、その時は父親と一緒だった。動き回るわが子が目に余ったのか、その父親が息子の胸倉をつかんでいるところだった。父親のその動作には少し驚いたが、感情的にではなく極めて静かに、しかし断固として言い聞かせているふうであった。その直後から神妙な面持ちで、あまりにお利口さんになった男の子が少し可哀想にも思えて気になっていたが、そのしばらくあと、本当に仲良さそうに話をしながら降りてくるその親子と階段ですれ違った時、私はそこにドイツ人の”鮮やかなしつけ”を見た気がした。