コーヒー・ブレイク(10)お雛様

 江戸の後期に生まれた、いわゆる“古今雛”と呼ばれるこういった雛人形が、現在の雛の原型となったのだそうだ。随分遅れて自分の雛人形を手に入れたわけだが、実際かなり傷んでいるので、毎年箱から出して飾る時には慎重にならざるを得ない。髪を植えてくれる店も京都あたりにはあるようだが、百五十歳にもなるのだから、むしろこのような姿のほうが自然というものだ。それでも、女雛の豪華な玉冠を戴いた姿は、今出来の若い子には堂々の貫禄勝ちである。一方の男雛も、当時のイケメンなのだろう、のんびりとしたお顔立ちが育ちの良さを感じさせる。それにしても、どう見ても尻に敷かれているように見えてしまうのは私だけだろうか。

2013.3.3

 立春を過ぎると、今年もまたお雛様を出さなければ・・・となる。子供の頃、親戚の家の七段飾りの晴れやかさが何とも羨ましかったが、毎年自分で作った小さなもので我慢していたせいか、お道具としての雛人形への憧れは人一倍強かった。娘がいなくて買うきっかけもなかったが、20数年前の五月五日子供の日に、奈良の大和八木駅近くの“今井町”という古い町並みが保存されている地区を歩いていた時、たまたま入った骨董屋(実は“喜多古美術店”という有名な店だったのだが)に2対の雛人形を発見した。一方は幕末、もう一方は明治で、特に後者は大きさもあり保存状態もほぼ完璧で非の打ち所がなかった。随分迷った末、しかし私は箱に“文久”と年号のある江戸のほうを選んだ。傷みも随所にあり、ご両人とも髪が完全に抜け落ちていたが、おっとりとして気品に満ちたお顔が決め手になった。持ち合わせのお金で間に合う金額だったわけだが、今となっては信じられない話だろう。

 そこがその日最初の訪問地で、その時はなぜか車ではなかったので、そのあと雛の入った大きな古い木箱を抱えたまま電車に乗ったり歩いたりと、その日一日はとにかく大変だったのを覚えている。ゴールデンウィーク明けに子供が小学校で話すネタ作りのため、やむを得ず毎年あちこちと近場に出かけていたが、その年は当然ながら交代で持たされた夫や子供からの苦情殺到で、どのスナップ写真にもその古い木箱が不機嫌そうな家族の顔とともに写っていて、今となっては結構笑えるのである。