東日本大震災
復興支援ボランティアに参加
岩手県陸前高田市へ


 日本共産党の和田孝明議員は御坊や印南の共産党日高地方議員団と一緒に、東日本大震災の被災者支援ボランティアとして、7月1日から6日までの日程で、岩手県陸前高田市を訪れました。和田議員のレポートを紹介します。

 
日程  
7月1日  午後2時に日高事務所を出発、大阪回りで約4時間で名古屋港に入り、フェリー「いしかり」で仙台に向かう。仙台港まで21時間。
7月2日  午後4時30分仙台港に入港、仙台から東北道と一般道路を乗り継いで、夜の7時30分に一関の気仙地区委員会に到着。ザコ寝。
7月3日  陸前高田市の仮設住宅を3地区訪問して聞き取り調査。
7月4日  同じく、仮設住宅3地区を訪問。午後2時より3時まで被災地視察。
7月5日  午後2時まで、住田町の仮設住宅の訪問。2時から気仙沼を視察して、3時30分に帰路に着く。夜通し運転。
7月6日  午前7時30分に、御坊市の日高事務所に到着。
   
 

 私達の支援活動は、高田市の仮設住宅を訪問して、山形から届いた支援物資(米)と地域民報を配って、震災当時の状況や仮設住宅に対する要望などを聞き取りし「共同支援センター」の担当者に報告をすることでした。

「共同支援センター」は、3棟のプレハブを用意して、その前で無料青空市場を開いて、全国から届く救援物資を市民の皆さんに渡しています。無料青空市場を手伝うボランティアは、全国から来た共産党議員や共産党地方組織を通じて来た一般参加者で構成されています。
 仮設住宅は完成後2ヵ月近く経つのに半分位しか入居して居ません。原因は仮設に入ると自立扱いで全て自己負担となることと、場所も住宅地から遠い事があり、交通面に問題が有りました。


 陸前高田市は、今回の震災で、市内8086世帯のうち、3341世帯が被害。死者数1531人、行方不明460人、(人口、12人に1人が死亡)津波は40分後に来ました。


 広田町(高田市の海岸沿いの町)は、明治の三陸津波で4人に1人が死亡。広田町の古い言葉に「津波が来たら欲を出さずに早く逃げる」と言う教訓があります。今回は漁港がいちばん被害が大きく(広田町のカキ養殖は有名)二重ローンで、最高5000万円の借金をしている人もいます。家を新築して、一泊して流された人がいます。

 


*仮設住宅を訪問しての市民の声を紹介します。

70代の女性
 共同支援センターで、服を貰って助かっている。共産党さんのおかげで、助かっている。

80代の男性
 公衆電話がないのが不便。みんなで、テーブルを囲んで食事がしたい。

60代の女性
 陸前高田市に住んでいて、家を流された家族は無事。保育士さんの津波の対応はよかった。避難の時、泣き叫ぶ子供はいなかった。(一夜、避難所で過ごした。)

70代の夫婦
 家は全壊で、この仮設に来た。息子夫婦と孫
3人の7人で暮らしている。ハエが多くて孫には気を使う。網戸がほしい。


 

 被災地では、津波で信号、標識が流されているので、警察官が交通整理をしている状況です。全国から警察、消防、自衛隊に加え地元の自治体職員も休みなしで働いています。
 夏場のボランティア活動は、いっそう厳しくなりそうに思いました。

  


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