ボーディングブリッジがずらりと並ぶターミナルビル

  啓徳空港が閉鎖になって2ヶ月後の1998年9月13日、私たち啓徳命の人間にとって,またとないチャンスがやってきました。何と、あのランウェイを歩くことができるというのです。

 当日は雨模様で少し風もある天気でしたが、自宅の窓から空港を見てみると、すでにたくさんの人が歩いていました。急いでカメラの用意をして、息子と一緒に地下鉄やバスを乗りついて空港へ。5号閘門のところで入場料を払って憧れの啓徳空港ランウェイへ。

 飛行機はいないものの、これまで立つことのできなかったところに立てるということで貴重な体験をすることができました。私にとっては、一生の思い出です。

 

 

ランウェイ中央部に取り付けられている照明装置(イギリス製)

 

 ランウェイの舗装面には、無数のタイヤ痕がはっきりと残っていました。これらのタイヤ痕が、着陸時の衝撃の大きさを物語っています。

 タイヤ痕だらけのランウェイを見ていると、何か胸がじーんとしてきました。二度と飛行機が離着陸することのない啓徳空港ランウェイ。だけど、いつまでも残しておいてほしいと思っているのは私だけではないでしょう。

 いつの日にか、フェニックスのように復活してくれないかな・・・・・。

 

 

 

 

 

 ランウェイウォーキング当日は、飛行機の形をしたチケットが配られました。この催しは、青少年の健全育成に関わるチャリティーのようなものでした。

 

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