三重県遺族会の歩み

三重県遺族会の歩み - 昭和30年代
できごと
昭和30年 2月27日  田村元氏衆議院議員に初当選
3月10日  全国戦没者遺族大会を靖国神社境内で開催。処遇改善運動いよいよ盛り上がる。
7月-日  三重県遺族会事務局長に森川僖次氏就任。生駒芳美氏に日本遺族会事務局に転任。
昭和31年 3月31日  三重県護国神社第2期工事新殿祭が行われた。
11月28日  政府(第3次鳩山内閣)は「無名戦没者の墓」建設を内定した。
12月4日  政府は閣議で「無名戦没者の墓」建立地を千鳥ヶ淵に決定する。
昭和32年 5月28日  大蔵省との間で「旧軍人会館」の無償貸付契約が成立。九段会館として発足。
10月1日  九段会館が結婚式場等全館が運営開始、全国の遺族1世帯あたり100円寄付借り入れを行い、改修費に充当した。
10月12日  三重県護国神社御造営竣工祝祭を斉行。三重県遺族会婦人部は護国神社の御神鏡2面献納。
昭和33年 1月19日  岸総理の裁断で公務扶助料が年額53,200円となる。
3月11日  1月20日に出発した比島方面遺族収集団が幾多の苦労を重ね帰国。
7月-日  淵田五郎氏退任により、参議院議員斎藤昇氏が第5代三重県遺族会会長に就任。
昭和34年 3月28日  千鳥ヶ淵戦没者墓苑竣工並びに追悼式が行われた。
4月1日  「遺族青少年育成資金に関する規定」が制定されたのを受けて、日本遺族会奨学資金貸付に関する諸規定が整備され、戦没者遺児に対する貸付制度が実施された。
4月10日  皇太子殿下と正田美智子様の結婚式が皇居の贄所で行われた。で
6月2日  第5回参議院議員選挙で、日本遺族政治連盟推薦の日本遺族会事務局長、徳永正利氏が全国区で初当選。獲得投票数27万6千2百票。
昭和35年 4月17日  「三重県遺族会青年部」が発足。初代部長に加藤祐一郎氏(四日市市)就任。
7月-日  三重県遺族会婦人部初代部長中野たね氏(上野市)退任により、2代目部長として、堀江祥子氏が就任。
12月4日  日本遺族会に「青年部」が発足。初代部長に成島肇氏が執念。
昭和36年 6月23日  沖縄平和慰霊像への霊石伝達のため、三重県から堀江婦人部長が五十鈴川の小石を捧持伝達した。
8月8日  日本遺族会婦人部長に中井澄子氏を選任。
9月24日  日本遺族会会長に安井誠一郎氏を選任。
10月21日  三重県遺族会、国旗掲揚台を護国神社に奉納。
12月28日  公務扶助料の年額を72,400円に引き上げ、同時に老齢福祉年金との併給を決定。
昭和37年 5月-日  三重県遺族会青年部第2代部長に乙部一己氏(津市)が就任。
8月29日  日本遺族会会長に賀屋興宣氏を推戴。
9月28日  日本遺族会創立15周年記念式典を天皇、皇后両陛下御臨席のもと、九段会館で開催。式典において、天皇陛下から次の御言葉を賜った。

 「日本遺族会創立15周年に臨み、親しく一同の健やかな姿に接することは、私の深く喜びとするところであります。戦争のため肉親を失った遺族の心情を思うとき、胸の迫る思いがします。何かと苦労の多いことと思いますが、これからも明るい心を持って互いに励ましあい、国家の繁栄に寄与するよう切に望みます。」

10月1日  公務扶助料が年額62,810円に増額。
11月-日  三重県遺族会結成15周年記念大会を開催。
12月29日  猛運動を繰り広げてきた婦人部が、靖国神社北参集所に待機中、「妻に対する特別給付金20万円に決定」との朗報。
昭和38年 6月23日  沖縄戦終結の「慰霊の日」にあたり、沖縄県遺族会青壮年部主催による第2回平和祈願と慰霊行進が行われ、本土の各県遺族会青壮年部代表も参加した。
4月1日  戦没者の妻に対する特別給付金が20万円(10年償還国債)支給された。
8月15日  政府主催による「第1回全国戦没者追悼式」が東京日比谷公会堂で開催。正午、全国民が黙祷を捧げた。
昭和39年 4月25日  戦没者への叙勲第1次(10,178名)を発令、5ヵ年計画で全戦没者に叙勲計画。
5月-日  三重県遺族会青年部第3代部長に西野武氏(度会郡)が就任。
7月1日  母子福祉法公布施行。母子世帯を対象にした福祉資金の貸し付け、職場開拓、雇用促進、住宅対策などが推進された。
7月9日  政府は2月24日の閣議で、本年も追悼式の会場を日比谷公会堂において開催することを決めていたが、遺家族議員協議会の荒船清十郎氏を中心に強力な働きがけにより会場を靖国神社境内と決定した。
12月28日  公務扶助料を年額93,500円に、特別弔慰金の支給(3万円、10年償還国債、昭和40年4月1日施行)が、自民党4役との政治折衝で決定。

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