榊原の人たちが起こした任意団体です。 榊原の人はみんな会員です。
榊原郷土を守る会<趣旨説明>
ふるさとを持たない人はいないといわれています。 昭和55年11月3日 榊原郷土を守る会 発起人一同
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榊原郷土を守る会の沿革 |
昭和52年7月 |
谷杣学校の校舎探しが発端。 明治17年に谷杣村字向出に独立した校舎を建築。 同44年までその校舎で授業を受け、その後榊原尋常小学校に合併された。 その廃校となった校舎は稲葉村役場の庁舎に使われていると聞いていたが、その建物がどこかに残っていないか探してほしい。という依頼が崎一市氏からあった。 |
同 52年8月 |
旧校舎は農協稲葉支店の飼料倉庫になっていたが、氏の希望である移築も出来ず、「学」の文字が刻まれた鬼瓦を譲り受け、郵便局カウンターに置く。 鬼瓦への反響は大きく、その沿革を求める声が絶えなかったので稲葉町へ何度も足を運び判明したので、それを印刷して瓦の側に置く。 |
同 53年1月 |
地域の人たちが求める情報を提供したい一心から「郷土の昔話」を採話し毎月定期的に郵便局で発行した。 |
同 54年11月 |
郷土を思う人たちが集まり、地元に残る大切なものを地域に呼びかけ残していこう、という声が高まって地域保存会(仮称)を設立しようと準備会を作る。 毎月の会合を重ね、会の趣旨などをまとめ自治会長などオピニオンらに集まってもらい2度の意見交換で地域団体として設立の確認を得る。 |
同 55年11月 |
榊原郷土を守る会発足。(3日) 会長は決めず、事務局のみで運営することを承認。 毎月3日(発足の日)に例会を開く。 例会の他、年間を通じて次の事業を実施した。 ・郷土の講演会=専門家から話を聞く。 ・郷土の探索会=自分たちの目で地域を見る。 ・郷土の文化財=大事なものに会独自で指定をする。 ・住民への周知=会報の配布と看板設置で啓蒙。 |
同 56年11月 |
1周年定期総会を開催。会長に上山因夫氏が就任。 会員の有志がバス1台を貸し切り久能山東照宮と照久寺・宝台院を榊原俊行氏の案内で視察見学をした。 |
同 57年5月 |
昭和57年度文化財保護活動推進方策研究委嘱を文化庁より受ける。 |
同 58年2月 |
会の啓蒙活動から湯立て神事を始めかんこ・手叩き踊りの復活がみられるようになった。 |
同 58年3月 |
冊子「郷土の昔ばなし」を発行。榊原町全戸配布をする。 |
同 58年7月 |
会員の提案で「美しい川運動」が始まる。 |
同 58年8月 |
榊原町の立体地図を作成。榊原小学校へ贈呈する。 |
同 58年11月 |
財団法人自治総合センターから印刷機等備品多数を寄贈受。 |
同 58年11月 |
文化財愛護活動推進方策研究委嘱報告全国大会で発表。東京・上野の国立社会教育研修所へ会長と事務局長が出席。 |
同 63年2月 |
会の啓蒙活動により射山神社御遷座四百年祭実行委員会が宮世話を中心に組成され10月に四百年祭を開催する予定が天皇の崩御により翌平成元年10月に開催された。 |
平成 元年8月 |
崎一市翁の歌碑を青山高原・笠取山に建立。 |
平成17年10月 |
久居市長から「久居市環境推進表彰」を受賞。 |
同 20年2月 |
絵はがき「榊原十一景」を発行。榊原町全戸配布をする。
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【平成になってから】 会員が一堂に集まることはなくなってきたが、年間を通じて美しい川運動やきのこ狩りは続けてきた。市が一斉清掃デーを設定して全市民が清掃作業をすることになってからは、守る会から美しい川運動の呼びかけはしなくなった。もちろん市の一斉清掃デーは守る会の美しい川運動がその実施に影響を及ぼしたことはいうまでもなく、平成4年5月21日訓令第2号で制定された「久居市環境美化運動実行委員会要項」の構成委員に「榊原郷土を守る会代表」が掲げられ、会長が委員になり委員会開催には出席している。 きのこ狩りについては第5区自治会の協力と、最近では榊原公民館がその行事に加わり自然の中でのふれあいを楽しんできた。 会長は初代から順に、上山因夫氏、山路完爾氏、(故)内藤重雄氏、それに現在の田中萬年氏となっている。 下は平成17年に久居市長から受賞された「久居市環境推進表彰」
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