キジの儀式                安井玉峰

 五月も半ばというのに、どんよりとして何となく肌寒い日でした。昨年のことです。午後二時を過ぎたころ、私は一人、お茶室でお道具の後片づけをしていました。と、ドスンという、鈍い音がしました。外の壁に、何か投げつけられたのでは、と瞬間思った私は、とりあえず庭に出て見回ったのですが、何事もないのです。かけいの水はつくばいに糸のように音もなく流れ、生け垣に囲まれた茶室の庭には、人っ子一人いるわけではありません。

 何とも片づかぬ思いで、戻ろうとふと空を仰いだとき、驚いたことに、真上の屋根のひさしから、なんとキジが一羽、のぞいているではありませんか。あの警戒心の強い野生の鳥が、スズメかハトのように。これはどうしたことかとそこを離れ、屋根の上を見ようとするとその瞬間、キジはひらりと舞い降りたのです。立ちすくんで行く手を見下ろすと、まあ、そこには美しい雄のキジが倒れていました。舞ったのは雌のキジだったのです。私はすべてを悟りました。

 寺のくすんだ乳白色の壁は、このどんよりした空の色の中に、そのまま溶け込んでいたのでしょう。そのうえ、私の寺は山の稜線上にありますから、なおのこと、キジには空と見えたのでしょう。さっき聞いたのは、痛ましいことになった音だったのです。

 これまで茶室の庭に、時おり、連れ立ってキジが二羽、遊びに訪れていることがありました。しかし、私を見ると、そそくさと立ち去るのです。雄が雌を誘うように先導して・・・。「もっと遊んでおいで。」と、思わず声をかけるのでしたが、警戒心を解きません。でも、それでいいのです。毎年シーズンには、この寺の庭先にさえ、ハンターを見かけるのですから。それにしても、私の前で、一羽が倒れるとは。

 駆け寄った私は、痛ましさに胸がいっぱいになり、キジのそばにしゃがみ込みました。が、あんなに警戒心の強い雌キジが、今はもう私のことなど意識になく、コー、コーと小さい呼び声をしながら、彼の周りをぐるぐる回っています。時おり、彼女の尾羽根が私の衣のすそに触れます。そのうち、彼女は彼のくちばしの付け根を軽くコツコツとつつき始めました。コー、コー。「起きなさい。」といわんばかりです。それでも、なんの反応もないと、今度はトサカやほおの毛をくちばしでくわえて、持ち上げようとするではありませんか。

 頭はわずかに上がりますが、またすぐ地面に落ち、黒いひとみは閉じられたままです。ついに、彼女は彼の体に駆け上がり、必死にコー、コーと鳴き(泣き)ながら、ひとしきり激しく頭をくわえて引っぱりました。もとより効き目はありません。聞いていたキジの情愛の深さとはこれほどのものかと感じ入って、彼女の姿が涙で見えなくなりました。

 この辺りは野犬も多く、ネコも出没することだから、このままにはできません。気がついてみると、彼女はやっと事の次第を納得したのか、離れては近寄り、それを数回繰り返して、寺の西の林へゆっくり去っていきました。放心して見つめる私が、なきがらの始末をしてやろうとすると、何か気配がしました。振り返ると、彼女は戻ってきたのです。私から三メートルほど離れて、じっとこちらを見ています。と、今度は決心したかのように、彼のそばへつかつかと力強い足取りで近づき、二度、三度、彼のくちばしをつつき、声も出さず振り返りもせずに去っていき、戻って来ませんでした。

 これは別れの儀式でした。野生のキジにそんなものが・・・。この信じがたい光景は紛れもなくキジの儀式です。儀式とは真実の姿。人間界ではとかく儀式が形式に流れやすい。野生の世界には形式はありません。たった今、目の前で、この夫婦は今生の別離をしたのです。はかなかった、短い一生の・・・。彼女は真心をささげて、別れのあいさつをしたのです。命がけで・・・。

 私は衣を広げ、キジを包むように抱き上げてやりました。見事な彼の尾は両の腕に余り、はねて私のほおに触れました。ほのかなぬくみが薄い衣を透して伝わってきました。私は、「かわいそうに」と思わずつぶやきながら、そっと寺の動物供養塔の裏に埋めてやり、小さな土まんじゅうのかたわらに、墓標がわりの卯の花を植えました。キジの化身の白い花がいっぱい咲きこぼれることを願って・・・。

 その花が、夏の訪れを告げるころ、キジの命日が来ます。

                           (昭和62年版 中学校『国語3』 光村図書出版)