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串本町

位置図(Googleマップ)


 本州最南端の潮岬と串本節で知られる串本町はビキニ環礁で被爆した第5福竜丸が建造された町で、自衛隊のレーダーサイトがある基地の町でもあります。

 太平洋戦争時には潮岬沖がわが国の国内海運の幹線ルートであったことから艦船を守るための海軍航空隊が設置され、戦争末期には潮岬が近畿・中部方面の空襲にやってくる米軍機の目印となって、連日のように上空に飛来したため、急激に基地の建設・要塞化が進められました。太平洋戦争末期の串本の基地図
 そのため、今なお基地跡や地下壕などの戦争遺跡が数多く遺されています。



 戦後米軍占領下での電探基地建設反対運動や我が国最初の町長リコールが行われた旧串本町と関西電力による原発計画を撤回させた旧古座町。民衆運動の歴史ある二つの町が2005年に合併して現在の串本町が発足しました。

 大島は江戸時代には菱垣廻船の寄港地として賑わい、古座浦には紀州藩の鯨方が置かれ古式捕鯨が行われ、明治以降は串本と大島が近代捕鯨で栄えました。海外への移民や出稼ぎも盛んで、今でも街並みにその名残を見ることができます。


 気候は黒潮の影響を受け温暖。西側海域はテーブルサンゴの大群落が見られる海域としては世界最北で、ラムサール条約に登録されています。また全国で最初に海中公園に指定された海域でもあります。
 町の海岸線は全域が吉野熊野国立公園に指定され、貴重な自然が豊富な地域です。


 町を海岸線に沿って東西に熊野古道大辺路が通っていますが、多くの区間が寸断され草むし埋もれていたため、地元のボランティア団体の大辺路刈り開き隊が復元整備の取り組みを行って一本の路としてつなげることができ、照葉樹林の潮騒の道として、人気が上昇中です。
 司馬遼太郎の街道を行くシリーズで人気のある古座街道は古座川河口で大辺路から分岐し古座川をさかのぼる歴史の道です。仲江議員の議会質問がきっかけで道路元標が設置されました。古座街道は刈り開き隊が地元の人々の協力のもと整備を行い、125年ぶりに復活した街道として、今脚光を浴び、多くの団体が訪れるようになっています。

                         
 明治23年にトルコ軍艦が大島樫野崎沖で遭難し島民が懸命の救助を行ったことをきっかけに、慰霊碑が立てられ、以来トルコの国家と小さな町串本の交流が続いています。


 マスコミ取材の話題に事欠かない元気な町串本。みなさん、串本の歴史と自然を楽しみにお越し下さい。

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