上板並
信玄と神木−上板並@−

 武田信玄が生まれたときに、甲斐沼より乳母が行き、武田信玄を育てた。
今から約四百五十年前、信玄が亡くなったので、乳母が親元の板並へ「か
ご」に乗って武士が送り届けた。その時の「かご」「刀」は火災にあって現在
は無くなっている。 
 信玄の神さんである諏訪神社が板並へ分神されるとともに乳母が親元に
無事帰ってきた乳銀杏の木が大きくなり、現在は神木となって祭られている。
ハゲの尻の水と乳神さま−上板並A−

 板並の西ノ川の山すそには、珍しいしぶい水が出るので、遠い大阪や京都より、その水をくみにきたそうです。
 それは昔の人の話では、汗もにとてもよくきくと言われています。これがハゲの尻の水です。
 また西ノ川の山の中に小さな神社があって、そこに大きなイチョウの木があります。その木に女のお乳の形のものが下がっているので遠い所から女の人で乳の出ない人が、その木をけずってせんじて飲むとお乳が出るようになり、たくさん出た人はその神社へお礼まいりに行かれたそうです。

はげの尻の水−上板並B−

 ほんの少しの昔、明治二十九年とやらのことじゃ大雨が降ってな、七日七夜ふり通し大洪水になったんじゃ。そして、向山がいっぺんにくずれてな。姉川をせきとめてしもたんじゃ。ほんなら、こんどは東側にある民家が流れはじめたんやと。
 そしたら、またきれてな。その水の勢いはすごいもんじゃたと。伊吹から竜ケ鼻へいき、まだまだ一気に流され、長浜は東上坂まで流れたんじゃ。そして、ここでもな堤防が切れて、その激流は市街地まで、はせこんだんじゃ。ほんでな、お坊さんの縁の下まで、みんな砂かきに行ったんやと。
その時ぬけた山からな、何年かたって、ふしぎな水が出ていたと。その水あかが何やら赤い水に見えて川原じゅうを染めていた。その上の方に、もとがあってな、ちょうど「ハゲの尻」のまん中あたりじゃたと。
その水は、実は温水じゃ。皮膚病にきくと言われて、ぎょうさんの人がこの水を汲みに来たんじゃ.みりんつぼに入れてな。馬車で運んでいく人も多か
ったんやで。ああ、そうじゃ。神戸の人もたびたび来とったなあ。 

教如水(きょうにょすい)−上板並C−
 上板並の万伝寺の裏山から湧き出ている水はその昔、歴史は遠く戦国時代、織田信長に石山の本願寺を焼き討ちされて、命かながら山こえて逃げてこられた一人の坊さんが、万伝寺の裏山にたどりつき、持っていた杖をやれやれと思い地面に突き刺したらその場所から清水が湧き出てきたそうです。その坊さんが教如上人でしたので、その水を教如水と名付けられ、今も教如水はこんこんと湧き出ています。