日本共産党津市議団
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平和と戦争に関するページ

戦争展2008(第21回)
 津市では被害の確認されているものだけで8回(旧津市7回、美杉1回)の空襲があり、2500人以上の方が犠牲になりました。その最後の空襲が7月28日の焼夷弾での空襲で、24日の爆弾で破壊された市街地を半径1200メートルにわたって焼き尽くしました。大門では観音さん前の頑丈な警察署に逃げ込んだ大勢の市民が蒸し焼きになるなど酸鼻を極める被害が出ました。

 こうした戦災犠牲者供養が28日夜に観音さんで行われることから、商店街の要請を受けて初めて大門での開催(7月26日〜28日)となりました。

 多くの方々が当時の様子を語りながら展示に見入っていましたが、中には思い出すのが怖いと、写真を見ることができない方もあり、戦争の恐ろしさを改めて感じさせられました。また、展示してある津市の焼け跡のパノラマ写真にわずかに残っている建物が写っていて、これまでこの建物はどこか、この煙突は何処のものか、など分からないことが多かったのですが、大門・立町の方々に教えていただき、多くのことが新しく判明しました。

上の建物は大門パチンコのビル、戦争当時の建物です
戦争展で展示しているパノラマ写真はこの屋上から撮影
その下に見える塀は焼け残った当時の塀です
上右の写真のように、当時のままの部分もあります

 左は焼夷弾です
右は81年前にアメリカから贈られた青い目の人形
三重県には194体ありましたが、敵性人形として処分され
わずか9体しか残っていません。津市には3体残っています
左から川合小学校、明小学校、津新町小学校の人形です

 下左は大門光涼祭の行灯
下は26日の夜店に登場した機関車トーマス
下右は28日に会場で歌っていただいた津児童合唱団の皆さん
リージョンプラザでの戦争展
 リージョンプラザの「戦争展」では、昭和13年の航空写真に関心が集まりました。

 「ここに住んでいました」「寺町の写真はありませんか」などと話しかけていただくことが多く、それをきっかけに当時の様子をお聞きすることができ、ずいぶん勉強になりました。
 以前から展示している焼け跡のパノラマ写真に写っている建物で、何の建物か判明していなかったことがあったのですが、こうした対話の中から、酒問屋の倉庫や、味噌屋さんの煙突など、多くのことが判明しました。

 また、7月28日の空襲の時、一家5人で逃げたのですが逃げ切れず、今も残るオーデンビルの石段で、火の海に囲まれながら一夜を明かした方にもお会いしました。両親と上のお姉さんは亡くなり、すぐ上のお姉さんと二人で戦後を生き抜いたそうです。

 お父さんが予科練の教官だった関係で愛知県から乙部に移り住み、知敬小学校に通っていたという方にもお会いしました。戦後は愛知に戻られたのですが、年月を経るに従い、津市がどのように復興したのか、同級生がどうしているのかが気に掛かり、戦争展にわざわざ碧南市からいらっしゃったそうです。

 美杉の空襲現場にいた方にもお会いしました。壊滅的な空爆を受けた市立病院(のちの県立病院、現在の県警)で働いていた「看護婦」さんにもお会いしました。いろいろな方がいろいろな思いを秘めて戦争展にいらっしゃいますが、今年の入場者は3日間で3000人近くにものぼりました。お子さん連れの若いお母さんお父さんもたくさんいらっしゃいました。今後も語り継ぐための工夫を凝らしながら、「津平和のための戦争展」は続いていきます。
焼け跡の立体地図
昭和13年の間違い
大門ビルから見た焼け跡
当時の本
B29搭載の航空写真用カメラ
石臼や米つき体験
美杉でも爆死者が
焼死した母子像
戦死した伊勢出身の詩人
市が併設した原爆パネル展
2007年12月自衛隊が焼夷弾処理

憲法を考える県民の集い
 5月3日、県総合文化センターのフレンテみえで「憲法を考える県民の集い」が開催され、会場一杯の84名(団体代表、個人)の参加がありました。

 集いの中心は「改憲論のトリックを斬る」と題した長峰信彦愛知大学准教授の講演で、「押しつけ憲法論」を始めとする、様々な改憲論者の論理のまやかしをわかりやすく解説していただきました。

 後半は三重大学の学生さん二人から、若い世代にとっての憲法をテーマにスピーチがあり、それを受けて会場からやはり三重大学生一人から発言がありました。3人の大学生に共通していたのは、自衛隊の海外派兵などの事態を許してしまったことには、若干ながらも国民の側の責任があり、とりわけ若い世代はこのことを考えて選挙に行くべきだ、とスピーチした学生さんに象徴される「自己責任論」です。一見前向きに思える発言ですが、聴衆の多くはそのことを感じていた様子で、時間がオーバーする中で最後に発言した方が、国民の責任があることは確かだが、その前に、権力を持ち、政策を執行する政府の責任をこそ問わなければならない、政府やマスコミの自己責任論に毒されているのではないか、との指摘がありました。

 奇しくも、多くの観客が押し寄せた、映画「相棒」の題材はそこにあり、自己責任論の名の下に、青年の命を無視することについて厳しい批判が展開されていました。

2008年度 津市戦没者戦災犠牲者追悼式 平和のちかい
 私たち津市民は、

 我が国のこの平和と繁栄が、先人の多大な犠牲とたゆみない努力の上に築かれていることを、決して忘れるものではありません。

 その歴史と体験から得た生命の尊さに対する強い信念に基づき、今後、再び戦争の惨禍が起こることのないよう行動し、限りない平和な未来を築いていくことが、今を生きる私たちの最大の責務であると確信します。

 戦後63年を迎え、ここに、平和を希求する人々とともに、恒久平和の確立により、豊かな社会の構築を目指して邁進することを誓います。
平成20年11月12日  
津   市      
2007年度 津市戦没者戦災犠牲者追悼式 平和のちかい
 私たち津市民は、

 我が国のこの平和と繁栄が、先人の多大な犠牲とたゆみない努力の上に築かれていることを、決して忘れるものではありません。

 その歴史と体験から得た生命の尊さに対する強い信念に基づき、今後、再び戦争の惨禍が起こることのないよう行動し、限りない平和な未来を築いていくことが、今を生きる私たちの最大の責務であると確信します。

 戦後62年を迎え、ここに、平和を希求する人々とともに、恒久平和の確立により、豊かな社会の構築を目指して邁進することを誓います。
平成19年11月14日  
津   市