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我輩は藤岡の辻貝戸窯である |
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我輩は愛知県西加茂郡藤岡町、猿投山の麓に住んでいる窯である。 | ||
我輩の名前は辻貝戸窯である。 | ||
御主人様は或る大手企業研究所に勤める主任研究員であったが定年退職、 | ||
陶芸だけで無く、時々山登りもするし、色々な事に博学である。 | ||
我輩を独学で造って呉れた事に感謝・感謝・感謝である。![]() |
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![]() 永田氏作(永田家にて) |
作品は御主人様の創作である。聞く処によると、 | |
先代の窯はここから100m位離れた場所に在り、 | ||
御主人様と従兄弟の克チャン(中村さん)・ | ||
沢田さん・山田さんの4人で資金・資材・労働を | ||
提供して悪戦苦闘の末、造られたと聞いている。 | ||
敷地も広く、陶房には囲炉裏が在り、、 | ||
畳まで敷かれ、寝泊りも出来る | ||
それはそれは立派な建物だったそうな。 | ||
名前は近くに観音堂が在り、観音窯と懐けられたと | ||
聞いている。6回程働き調子が出始めた矢先、大事件が持ち上がったそうな。 | ||
先代が余りにも立派だった為、宅地並み課税が来てしまい![]() |
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御主人様はほとほと困り果て、移築を決断されたそうな。 | ||
今度は一人でこつこつ2年掛かりで完成させて呉れたのが我輩である。 | ||
我輩はまだ調子が出ず、温度の上がりが悪いと改造の試行錯誤が繰り返されている。 | ||
御主人様の所には窯焚きに色々な人が集まって来る。 | ||
御主人様の勤めるグループ会社の営業を担当している。 | ||
岸さん・・・この人は華道と茶道の心得があり、自宅には茶室が在り、侘び寂びの心と | ||
かなりの鑑定能力を持っている。 | ||
岸さんの親友の児島さん・・・専門校で板金の先生をしていると聞いている。![]() |
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児島さんの自宅の庭は岸さんが造られたそうな。 | ||
性格はかなり違うのに兎に角二人は仲がいい。 | ||
先生、青木さん・・・御主人様の小学校時代の校長先生で陶芸にはかなりの腕がある。 | ||
風の便りによると、奥さんの体調が悪く看病で今回は姿を見せなかった。 | ||
棟梁・・・御主人様の幼馴染で大善建設の社長である。 | ||
昔は近所のガキ大将と言う感じがする。(おっと、間違えていたら失礼!) | ||
岩崎さん・・・息子さんが御主人様と同じ職場に勤めていて、 | ||
これが縁で参加する様になったそうな。 | ||
グループの仲間で唯一バザーで作品を販売している。 | ||
岩崎さんは窯業専門校を卒業後、更に造園専門校を卒業して | ||
現在植木屋さんのお手伝いをしているそうな。 | ||
一番楽しみなのが10時と3時のおやつだと言って皆んなを笑わせている。 | ||
最後に澤田さん・・・岩崎さんと窯業専門校の時、同級生であった事が縁で | ||
参加する様になったそうな。![]() |
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この人がホームページの作者で先日我輩の事をあれこれ取材していた。 | ||
御主人様の奥さんには頭が下がる思いがする。 | ||
三度三度の食事の差し入れ、さぞかし大変だろうと何時も思っている。 | ||
近所に住んでいるお姉さんも応援して呉れている一人で、必ず何かを差し入れて呉れる。 | ||
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我輩が働いている姿を見に、先代を造って呉れた克ちゃん、沢田さん、山田さんを始め、 | |
御主人様の会社の人、近所の人、知人等々多くの人達が来てくれる。 | ||
来られる人が皆差し入れして呉れるので、何時も食べ切れない程食料が集まってしまう。 | ||
これも御主人様の人徳と思っている。これから先何時までも、皆んなが元気であり、 | ||
我輩が活躍出来る様に期待している。 | ||
時が過ぎて、我輩の御主人様の永田修さんは2001年9月に定年退職になりました。 | ||
又大津から通っていた澤田さんは体力的に無理となり、10年を区切りとして | ||
2005年3月12日で卒業となりました。 |
我輩の活躍ぶり |
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