前編-2 【秋田県・青森県・岩手県】

オートキャンプ場を早朝出発、
16km走行してフェリーターミナルに到着です。
既にフェリーは用意されていたが、
低気圧の影響で天気は益々悪化し強風が吹き、
高い波が押し寄せていた。
駐車場の車が少ないのが少々心配でした。
乗船車は3台、乗客は5名、定刻に出航しました。
飛行機も同じですが船も乗船者が少ないと
不安になるものです。
脇野沢港の手前に魚に似た岩礁があり思わずパチリ、
後日調べたら鯛島とありました。本当にそっくりでした。
1時間の航行で脇野沢港に到着です。
津軽半島への乗船車が50台程待機していました。
全ての不安は取り越し苦労でした。
4km、10分程で道の駅、わきのさわです。
隣接してむつ市脇野沢野猿公苑がありました。
野生のニホンザルの北限生息地で、
世界の猿類の中でも最北限だとか。
保護され繁殖し過ぎてしまい、
最近では畑を食い荒らしたり、
人を襲う様になってしまったと報告されています。
国道338号線で津軽海峡沿いに32km約1時間で仏ヶ浦駐車場です。仏ヶ浦極楽浜までは10分程階段を下ります。
風雪厳しい津軽海峡の荒波が削り上げた約2kmも続く大自然の奇岩群です。
その奇岩には如来の首・五百羅漢・一ツ仏・親子岩等々名付けられてありました。
国道338号線で津軽海峡沿いに北上します。
38km、約90分で本州の最北端の大間崎です。
好天なら対岸の函館が見える筈でしたが生憎の天気でした。
沖合600mにある弁天島の大間灯台です。
白黒ツートンカラーが印象的でした。
大間と言えば荒れ狂う津軽海峡で育った極上の鮪です。
海岸の食堂で食べた鮪・ホタテ定食、¥1,700は絶品でした。
国道279号線で海岸沿いに南下、
県道284号線で内陸へ、40km約2時間半で
秘湯、奥薬研温泉かっぱの湯に到着です。
無料の混浴露天風呂です。
伝説によると、慈覚大師円仁が恐山を開山した後
ここで道に迷い怪我をして困っていると
大きなフキの葉をかぶった河童が現れて
この温泉に案内して呉れ、大師はフキの葉に包まれて
奥薬研の湯に入れられたのですっかり元気になった
そうです。
すぐ下を渓流が流れ、その音を聞きながらの入浴は最高でした。実は先客が3人いましたが旅行記の話をした所、
場所を空けてくれて撮影して呉れました。
県道の山岳ロードで約18kmで恐山です
恐山は滋賀県の比叡山と和歌山県の高野山に並ぶ
日本三大霊場の一つと言われています。
入口に太鼓橋があり三途の川とありました。
山門前の出迎え地蔵です。
山門を潜ると、正面に菩提寺(地蔵殿)があります。
周辺一面が溶岩台地で所々で噴煙が出ています。
殺伐としていて霊魂が漂っている様な雰囲気がします。
道なりに進むとお地蔵様がありました。

慈覚大師堂です。恐山は862年天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師円仁によって開山されたとありました。

宇曽利湖の湖畔、極楽浜には無縁仏が祀られ、
時々吹く風にもの悲しく風車が廻っていました。
3km程山を下ると恐山冷水がありました。
今回は逆走ですが一般的にはこの水で手を洗い、
口をゆすぎ、霊場恐山へ入ります。
ここが俗界と霊界の別れで、冷水を1杯飲めば10年、
2杯飲めば20年、3杯飲め ば死ぬまで若返るという
不思議な水と言われています。
むつ市への途中から山岳ロードで8km、
釜臥山(879m)の展望台です。
晴れていれば、恐山の宇曽利湖・八甲田山・岩木山・
遠くには函館まで望遠出来る筈でしたが生憎の天気で
視界なしです。長居は無用で直ぐ下山しました。
むつ市街を経て、約50kmで本州最北東端の尻屋崎です。
何時の間にか天気は回復していました。
白亜の灯台は明治9年にイギリス人により起工、
東北で最も古い洋式灯台で200万カンデラの光量は
全国でも最大級とありました。
灯台周辺は広々とした草原台地で牛や馬が放牧され、
厳冬の寒さの中に立つ「寒立馬」の姿は
時々ニュースになります。
途中の道の駅よこはまで夕食は天麩羅定食、
112km走行して深夜に道の駅ゆ〜さ浅虫に到着
予定通りここで車中泊としました。

17日(金) 走行距離  306.8km
AM7時オープンと同時に入浴、
昨日の長距離運転の疲労をとりました。
ゆ〜さ浅虫5階の展望浴場からの陸奥湾です。
青森駅のベイシティ青森までは18km、40分です。
シンボルの斜張橋が港に美しくマッチしていました。
その前は青森港です。
過ってはここから青函連絡船が発着していて、
出張の時は何度も利用したものです。
7kmで縄文時代前期(約5500年前)の集落跡、
三内丸山遺跡です。
最も目立つのが 大型掘立柱建物 です。
三内丸山遺跡の象徴的な構造物です。
この構造物の用途についてはいろいろな説があり、
物見やぐら・灯台・祭殿・倉庫などの施設を
想定することが出来るそうです。
青森環状バイパスで国道103号線に入り八甲田山へ向います。県道40号線に左折して八甲田山中に入り暫く進むと
約30kmで雪中行軍遭難の地です。1902年(明治35年)日露戦争に向けた寒冷地戦の想定雪中訓練で210名中199名が凍死、
遭難現場に救援を待って仮死状態で立ち尽くす後藤伍長が発見され多くの人々の涙を誘ったそうです。
傍の小高い丘に後藤伍長の立像がありました。
12kmで八甲田ロープウエイ駅到着です。
八甲田山と言う山は無く、青森県の中央部に広がる火山群の南八甲田と北八甲田の総称です。
ロープウエイ山頂駅周辺には散策コースが整備され1時間で一周出来ます。
ロープウエイ山頂駅から田茂萢岳(1320m)へは
直ぐ近くです。
散策コースの湿原です。
散策路の高山植物です。     下左:オオバギボウシ 下右:アキノキリンソウ 
ロープウエイ駅から6kmで酸ヶ湯温泉です。
300年と言う歴史のある1軒宿で、
総ヒバ造りの千人風呂が有名です。
脱衣場は男女別ですが中は混浴です。
白濁湯なので女性も平気で入っています。
名前通りお湯は酸性が強く、温度も結構熱い温泉でした。
湯船は混浴なので撮影禁止でした。
前の駐車場隅には辰五郎清水があり、
懇々と湧き水が噴出していました。
温泉上がりの一杯は最高に美味しかったです。
直ぐ近くに地獄沼がありました。
酸ヶ湯温泉の近くの火山活動によってできた沼で、
底からは90度前後の熱湯が吹き出しているため
絶えず湯煙が上がる巨大な湯壷になっていました。
地獄沼から道路を挟んで反対側の少し奥に
『まんじゅうふかし』 がありました。
下にお湯を通してホカホカになったベンチです。
尻がホンワカと温まります。
名前の由来は食べ物の饅頭を蒸かす訳では無く、
この地方では女性自身をまんじゅうと言うそうで、
服を着た侭温泉に入った効果がある事から
何時しかそう呼ばれる様になったそうです。
国道103号線で15km程下ると
自然林の中に一軒宿の蔦温泉がありました。
宿近くの広大なブナ林の中には沼が点在していて
約3kmの散策路が整備されていました。
静寂の中、小鳥の囀りを聴きながらの散策は
心が洗われる思いがしました。
更に国道103号線を下ると4km程で
奥入瀬渓流になります。
白い飛沫を上げながら流れる渓流や苔むした岩や
壮大な滝が奥入瀬川沿いに展開します。
ビューポイントには全て名前が付けられています。

紫明渓』 です。
『三乱の流れ』 です。
『白銀の流れ』 です。
『阿修羅の流れ』 です。
川沿いに約8kmで右手に大きな滝が見えて来ます。これが 『雲井の滝』 です。
更に2.5kmで『銚子大滝』 に出ます。
十和田湖はもう直ぐです。
更に下ると突き当りが十和田湖です。
湖岸沿いに25kmで休屋に到着です。
ここは十和田湖の観光基地で賑わっていました。
湖畔沿いに遊歩道があり景色を眺めながら
散策しました。
御前ヶ浜に『乙女の像』がありました。
高村光太郎の最後の作品で
モデルは最愛の妻、智恵子と言われています。
8kmで発荷峠展望台です。
十和田湖を一望できるビューポイントです。
十和田湖からは延々と太平洋を目指しました。
八戸で国道45号線に入り、90kmで
道の駅、はしかみに到着です。
すっかり日も落ちてしまったのでここで車中泊です。
夕食は八戸の八食センターで仕入れた
握り寿司と豆腐の味噌汁です。

18日(土) 走行距離  257.6km
早朝、日の出前に出発13kmで蕪島です。
現在は陸続きで丘の上に蕪嶋神社がありました。
国指定天然記念物ウミネコ繁殖地です。
八月の中頃には旅立つとの事で殆んどいませんでした。
6.5kmで種差海岸です。
天然芝が5kmも続く草原です。
ここの日の出が眺めたくて早出しました。
雄大な日の出を眺めながら朝食です。
朝食は海苔を付けて焼餅を5個です。
国道45号線は海岸を縫う様に南下します。所々に村落があり海岸に出ます。国立公園陸中海岸の始まりです。
85kmで陸中海岸国立公園の中心、北山崎に到着です。海面から200m程の断崖絶壁が8kmも続いています。
海のアルプスと呼ばれているとの事、展望台からの眺望は迫力満点でした。
小本で海岸に分れて国道455号線で内陸に向います。約60kmで龍泉洞です。
山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞と並ぶ三大鍾乳洞とありました。
第一地底湖、水深35m、です。
透明度が高く底まで見通せます。
第二地底湖、水深38m、です。
照明が底を綺麗に映し出していました。
その奥の第三地底湖は水深98mとありました。
再び海岸沿いの国道45号線に戻り南下します。40kmで三王岩です。
真下からは高さ50mの奇岩で、陸中海岸国立公園の沿岸風景の中でも屈指の迫力でした。
海岸沿いに13kmで潮吹穴に到着です。条件が良ければ30m位吹きあがるとありました。
今日は波が穏やかで中々潮吹きが見れません。
でも時々それらしい潮吹きがありました。
海岸沿いに9kmで浄土ヶ浜駐車場です。
浄土ヶ浜へは徒歩20分程です。北山崎と並ぶ
陸中海岸国立公園の顔と言われています。
入江に松を頂いた岩が点在しています。
正に白砂青松です。 『さながら極楽浄土のごとし』 と
感嘆したことから名付けられたそうです。
駐車場の隣にある浄土ヶ浜パークホテルです。
日帰り入浴で一汗流しました。
内風呂と露天風呂からの景観です。
露天風呂で一人旅をしていると言う学生さんに会い、
旅行談議に花が咲きました。
一休み後、国道106号線で一路盛岡を目指しました。
95km、3時間半で盛岡郊外の岩山展望台に到着です。
340mと低い山ですが盛岡市街・姫神山・岩手山まで
展望出来ました。
5km程山を下った盛岡市内に三ツ石神社がありました。
岩手山の噴火で飛んで来た3個の巨岩がありました。
巨岩には大きな手形らしき文様がありました。
伝説によると、岩手県の県名の起源と
民謡さんさ踊りの起源との説明板がありました。
盛岡駅前のメインストリートの官庁街にある
盛岡地方裁判所前庭に巨大な花崗岩の割れ目から
出ている樹齢350〜400年の桜があります。
毎年元気に満開の花をさかせいるとありました
去年はど根性大根がトピックスになりましたが
この石割桜のど根性には脱帽でした。
盛岡駅から約16kmで全国に知られている小岩井農場です。日本鉄道会社副社長の小野義真、三菱社社長の岩崎弥之助、
鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり、三名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられたそうです。
岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積に、乳牛(ホルスタイン)の飼育数は約2,000頭、
生産される生乳は、すべて農場内にある小岩井乳業工場にて牛乳や乳製品等に商品化されているとありました。
国道46号線で田沢湖へ向います。
18kmで道の駅、雫石あねっこです。
露天風呂のある温泉施設のある道の駅です。
一汗流して、今夜はここで車中泊としました。
夕食はインスタントのラーメン・ライスで
簡単にすませました。

19日(日) 走行距離  360.5km
早朝に出発、国道46号線で30kmで田沢湖です。
423.4m、最大深度日本一の湖です。
早朝の静寂な田沢湖は実に神秘的でした。
田沢湖畔道路で5kmでたつこ像です。
伝説によると永遠の美を求めて湖水を飲み続けて
湖神の竜になってしまったと言う。
早朝の静寂の中でルリ色の湖水と金色のたつこ像が
映えていました。
たつこ像の近くの白木造りの社殿、漢槎宮 (浮木神社)です。
神秘的な湖に張り出す神社は印象的な風景となり、
現在は縁結びの神様を祭ってあるそうです。
来た湖岸道路を5km程戻ると昭和の雰囲気を残している思い出の田沢町立潟分校です。
戦時中疎開先で通った小学校を思い出しました。
教室の黒板、小さな机と椅子等々当時が駆け巡りました。
小さな椅子に座るとこんなに小さかったのか・・・とびっくり、
小学校へ入学した頃の童心にタイムスリップしました。
田沢湖から離れて乳頭山へ向います。
20kmで乳頭温泉郷に到着、秘湯 『鶴の湯』 へ、
半年前から予約が満杯との事でした。
日帰り入浴のオープンまでの待ち時間が長く、
今日は八幡平の藤七温泉でも入浴の予定があり、
先に進む事にしました。
天気が崩れる時は白色から黒っぽく変色するそうです。
今日の天気は大丈夫そうです。
早朝で掃除の最中でしたが撮影だけさせて貰いました。

鶴の湯の名前の由来は

約350年前地元の猟師.勘助が猟の際に
傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見つけ発見して、
そのまま 『鶴の湯』 の名に残ったとありました。
田沢高原温泉を経て下山、国道341号線を北上します。国道沿いに名水 『茶たての清水』 がありました。
ここで水の補給をして休憩です。手を切ると言う表現がぴったりの冷たい水でした。
国道341号線を31kmで宝仙湖です。日本百選に選定されている風光明媚な湖です。
小鳥の囀りを聴きながら暫しの休憩としました。
国道341号線はトロコ温泉で八幡平への県道23号線に入ります。36kmで大沼です。
原生林に囲まれた美しい沼で周囲には木道が敷かれていて、一周30分程で散策しました。
散策路の高山植物です。

ハクサンシャジン


ミヤマアキノキリンソウ


タチキボウシ


ノリウツギ

八幡樹海ラインを12kmで秘湯藤七温泉です。
標高1400mの山麓に露天風呂が
4箇所点在しています。
勿論混浴ですが遠くの露天風呂に
女性達はかたまって入っていました。
生憎ガスっていましたが八幡平の大自然を
感じながら入浴は最高でした。
再び八幡平樹海ライン2kmで見返峠です。
峠には県境表示の道標がありました。
見返峠から遊歩道で30分、八幡平の最高峰1613.6mです。ここからの八幡沼です。
散策を堪能、八幡平アスピーテラインで一気に下山、約30kmで東北自動車道、松尾八幡平ICです。
東北自動車道の花巻空港ICまで68.3K約1時間、更に4.7Kで宮沢賢治記念館です。
詩人・童話作家である宮沢賢治はここ花巻で生まれ、
『雨ニモマケズ』、『風の又三郎』、『銀河鉄道の夜』など
沢山の名作を残しています。
館内は宮沢賢治に関する研究と展示です。
館内は全て撮影禁止とありました。
国道283号線39Kで民話のふるさとで知られている道の駅、遠野風の丘です。
今夜はここで車中泊です。夕食はレストランで焼肉定食としました。

20日(月) 走行距離  266.0km
道の駅、遠野風の丘から7.5kmで伝承園です。
遠野地方の民俗伝承施設です。
重要文化財の南部曲り家で語り部の話を聞き、
遠野物語の世界に迷い込みました。
施設内では当時の農村 生活が体験出来るそうです。
出入口で中は売店でした。
重要文化財の曲り家です。
囲炉裏端で語り部の話に耳を傾けて、
遠野物語の世界にタイムスリップしました。
農作業や倉庫として使われていた板倉です。
カッパ伝説の常堅寺への道端にはコスモスとヒマワリが満開でした。
田園の中を500mで、カッパ伝説の常堅寺です。
お寺の裏に小川が流れていて、
成る程、カッパが出て来そうな雰囲気でした。
伝承園から10.7kmで山口の水車です。
遠野物語の語り部、佐々木喜善の生家に近く、
一番当時の景色に近いと言われています。
裏手の小高い山林が姥捨て山だったそうです。
国道283号線で33.3km釜石です。
市内に入り最初に見えるのが小高い山の上に立っている
釜石大観音でした。
海岸に突き当たり国道45号線で
三陸海岸国立公園の海岸沿いに南下です。
53.7km、約2時間半で碁石海岸の穴通磯です。
波の侵食作用により大きな洞門が3つ開いた
その様は自然の造形美でした。。
大船渡市、陸前高田市を過ぎ、38kmで
御崎岬の巨釜・半造です。
大理石の浸食によって円状になった地形に
波が押し寄せ、内部を渦巻く様子が
あたかも巨大な釜が湯を煮立たせているように
見えることから名付けられたとありました。
気仙沼市街で国道284号線の気仙沼街道に入り、
国道456号線・県道19号線で54.7km、一関郊外の
猊鼻渓に到着です。
北上川の支流、砂鉄川が石灰岩を浸食した約2kmの渓谷です。
断崖絶壁が続く渓谷を船頭さんの追分節を聞きながらの
舟下りでした。
定員オーバーか?満員の乗り合い舟には閉口でした。
猊鼻渓から18kmで、中尊寺山道入口です。
中尊寺へは今回が5回目です。
前回は2003年に 
『奥の細道を辿る旅』 で来ています。
歴史が大好きなので何度来ても厭きません。
樹齢数百年の杉並木の山道を登ると
両側に神社仏閣が建ち並んでいます。
高僧・慈覚大師円仁によって開山された天台宗の中尊寺です。
山道の最奥が有料の金色堂です。
平安時代、奥州藤原氏3代
藤原清衡、基衡、秀衡による
100年の繁栄が凝縮されています。
前回はここに芭蕉の銅像と句碑がありましたが金色堂の傍に引っ越してありました。流石の商売上手に唖然でした。

五月雨の 降り残してや 光堂
観音堂 と 薬師堂 です。
大日堂と弁慶堂です。
中央に見える川が北上川支流の衣川です。
源義経最期の地です。
山全体が中尊寺で
下りた所に武蔵坊弁慶の墓がありました。
2.5kmと近くに毛越寺があります。中尊寺と共に平安時代を代表する寺院です。
藤原氏二代基衡が極楽浄土を想定して造園したと言われています。丁度蓮の花が満開でした。
庭園の傍に芭蕉直筆の句碑がありました。芭蕉は中々の達筆でした。

夏草や 兵どもが 夢の跡
厳美渓へは8.6kmです。
栗駒山から流れる磐井川の両岸2kmの渓谷で、
伊達政宗公は 『松島と厳美』 が領地の
二大景勝地なりと自慢して度々この地を訪れていた
そうです。日本百景の一つとありました。
近くの道の駅、厳美渓を経てて栗駒山へ向います。
国道342号線で37.5kmの山岳ドライブで
須川高原温泉に到着です。
須川高原温泉の横に栗駒山への登山道があり、
トレッキングに入りました。
登山口から20分、名残ヶ原です。
正面が栗駒山(1627m)です。
山頂までは2時間の行程なので
ここで引き返す事にしました。
再び須川高原温泉に戻り露天風呂で一汗流しました。
大日岩傍から湧き出している乳白色の露天風呂は
プール並で泳げる程広く、温度も温めで丁度良く、
顔を撫でる微風が爽快でした。
下山途中の栗駒山系の山々です。今日は天気にも恵まれ最高の一時でした。
再び国道342号線で37.5km山岳道を下り、
道の駅厳美渓に到着です。
今夜はここで車中泊としました
夕食はレトルトのカレーで簡単に済ませる事にしました。

21日(火) 走行距離  271.5km

次は 後編-1 【宮城県・山形県・福島県】 です。
次の3月20日(木)は 【道の駅、厳美渓・青葉通り・広瀬川】 88 です。

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