2006年 『日本の旅』 北海道編 に続き、2007年は 東北編 です。
2003年の 『奥の細道を辿る旅』 で訪問した山形県庄内地方を除き、
出来るだけ多くの国立公園や国定公園を訪ねる計画です。
さあ! 今年も東北の旅に御一緒しましょう!・・・


前編-1 【秋田県・青森県・岩手県】

大津⇒敦賀の中間点にある道の駅、
マキノ追坂峠です。
見えるのは奥琵琶湖です。
敦賀港岸壁です。
どうやら今日も好天に恵まれそうです。
既に、これから乗船する
アザレアが停泊していました。

13日(月) 走行距離   103.1km
2007年8月13日(月)、AM:10時
敦賀港を出航です。
天気は快晴、波一つ無い、日本海を
一路次の寄港地、新潟港へ航行中・・・です。
兎に角、フェリーの旅は
全ての時間が止まってしまった様です。
のんびり行こうよ!何処までも・・・ です。
果てしなく続く日本海を眺め乍の入浴、
これも又格別でした。
北陸自動車道では敦賀⇒金沢は約1時間半、
敦賀港を出航して約8時間、
能登半島沖で日没となりました。
せわしない昨今、時間が止まった様です。
何時までも、日本海の日没に見入っていました。
途中新潟港22:30寄港、
翌日5:50分、秋田港に予定通り到着、
最初の訪問地はJR秋田駅近くの千秋公園です。
この公園は秋田藩佐竹氏二十万石の久保田城跡で、
現在は桜の名所です。
表門は本丸の正門で、木造2階建て瓦葺きの櫓門で、
絵図や発掘調査資料を基に平成13年に
再建しとありました。
本丸の第12代秋田藩主、佐竹義堯の銅像です。
近代秋田を築いた最後の藩主であり 
戊辰戦争では新政府方に属して戦い、
明治維新の激動期を生きた象徴的な人物とありました。
本丸北側の高台にある御隅櫓です。
見張り場と武器庫の役割を担っていた建物で、
展望台から市街が一望でした。
車で30分程、男鹿半島への道路沿いに
広大な県立小泉潟公園がありました。
水芭蕉等の湿原や大自然を生かした広大な公園です。
しっとりした本格的な日本庭園もありました。
国道沿いの男鹿観光案内所では
身長15mの巨大ナマハゲが迎えてくれました。
さあ!これから男鹿半島の周遊です。
海岸沿いに男鹿半島を周遊です。
鵜ノ崎海岸です。
海水浴場ですが泳いでいる人は皆無でした。
暫く海岸沿いに進むと岩場となり、
その中にゴジラ岩がありました。
ゴジラの横顔との事、
凝視するとゴジラが火を噴いている様に
見えて来るから不思議です。
岩場先端の潮瀬崎灯台は360°の展望でした。
男鹿半島にはなまはげ伝説があり、
時々なまはげが登場します。
山の中腹に見えるのが長楽寺です。
長楽寺の歴史は古く、平安時代後期の創建で
明治5年に五社堂神社と寺院とに分離され、
以来薬師如来を本尊とし多くの信仰を
あつめているそうです。
赤神神社五社堂へは長楽寺の横から
鬼が造ったと言う999段の石段が続いています。
重要文化財の五社堂です。
五匹のなまはげを祀ってあると言われています。
以下は五社堂伝説です。
昔々漢(中国)の武帝が不老不死の薬草を求めて男鹿にやって来ました。
漢の武帝は自ら白い鹿に乗り、五匹のこうもりに化けた鬼どもを従えて来たそうです。
武帝は、鬼どもを日頃酷使(こくし)していて、そこで1年のうちに1日だけ村里に出て自由なふるまいを許したところ、
悪態(あくたい)のかぎりをつくして、娘までさらったりして、困りはてた村人は一計を案じ、鬼どもに『かけ』を申し入れました。
一晩のうちに1000段の石段をつむこと、もし、鬼どもが勝ったならば、毎年娘を差し出すが
1段でも欠けていたらもう人里に下ってこないという約束をさせたとの事。すると、鬼たちは喜んで石段を積み始めたそうです。
鬼たちが、寒風山から次々と石を運んできては積み上げていく、ちょうど999段めが出来たとき
村人は、ニワトリの声まねのうまい人をつれてきて、早めに「コケコッコー」と一番鳥の声を出させたとの事。
鬼たちは怒って、杉の大木を抜き取ると、逆に大地に突き刺して(逆さ杉)山に帰って行ったという。
現在この地方に残っている『なまはげ』はこの伝説が起源とも言われています。
30分走行、海岸に隣接したロケーションにある
男鹿水族館GAOです。
芸達者で人気者の白熊、豪太です。
ここの白熊は従来の動物園と同じで人々に
芸を見られている感じでした。
これに対して去年行った北海道、旭山動物園の場合は
人々が白熊に見られている感じがしました。
圧巻だったのは男鹿の海大水槽でした。
これは一見の価値がありました。
走行20分、小高い山の上が八望台です。
男鹿半島随一のビューポイントで、戸賀湾・一ノ目潟・
二ノ目潟・奥羽山脈・青森県境までもを眼下に
眺望できる景勝地です。
「八望台」という名は、高松宮殿下が命名されたと
ありました。
戸賀湾・一ノ目潟です。
海の向こうへと沈んでゆく夕日が
最高の景観とありました。
30分程山を下ると
男鹿半島最先端の入道崎です。
北緯40度の芝生広場の先は大海原でした
ここは夕日の絶景ポイントと言われています。
芝生広場には1898年建造の
入道崎灯台がありました。
白黒ツートンの灯台は紺碧の海、緑の柴に
良く合っていました。
約1時間走行、
スカイパーク寒風山(標高355m)へ、
九十九折れの道が続き、
どんどん高度を上げて行きます。
頂上に展望台があり、
ここの展望室は7分間で1回転します。
腰を下ろしたまま男鹿半島や、日本海の海岸線など
360度の景観を望むことが出来ます。
回転展望台横の寒風山頂上です。
開拓前の八郎潟と現在の干拓地です。
果てし無く広い干拓地では
稔りの秋を迎えていました。
延々3時間海岸沿いに北上、不老不死温泉到着です。
事前調査によると16時以降は日帰り入浴は
出来ないとの事、時間との闘いになりました。
長時間の連続走行は疲労困憊でした。
露天風呂は波打ち際にありました。
ここは余りにも有名に成り過ぎ、大勢の人達で
混雑していたので海で泳いでから
温泉に浸かる事にしました。
男女別の露天風呂でしたが海からは丸見え状態、
女性で入浴するには可也の度胸が必要と見えました。
全員が海を向くチャンスを狙った1枚です。
イモ洗い状態から早々に退却しました。
不老不死温泉のタイムリミットで通過して来た
十二湖へは約40分程逆戻りです。
江戸時代の大地震で沢がせき止められ地盤が陥没して、
大小33個の湖沼郡が形成されたと言われています。
大崩から見ると12個に見えることから十二湖と
名付けられたとありました。
幻の魚イトウで有名な鶏頭場の池手前で車両通行止めです。後はブナ林の中を散策です。
最奥の「青池」は青いインクを流し込んだ様な美しさで
太陽の光によって色が変化する神秘的な湖でした。
十二湖への入り口にあるのが日本キャニオンです。崩壊・浸食が作り出した自然の景観で
15分程登った場所にある展望台から.見た間近の岩肌は迫力満点でした。
山道を10分程でサンタランド白神に到着です。
サンタの顔をモチーフにしたイベントホール・
ログハウスのコテージやレストラン等々
サンタクロースの故郷フィンランドの雰囲気です。
再び海岸沿いに北上する事40kmで、
今夜の車中泊予定地、道の駅ふかうらに到着です。
今夜は御飯・仕入れた一夜干しのイカ・味噌汁です。

14日(火) 走行距離   282.9km
道の駅、ふかうらでの日没です。沢山の人達が海岸に座って暮れ行く日本海を眺めていました。
早朝の千畳敷海岸です。藩政時代に畳千畳を敷いて宴が催された事から名銘されたそうです。色々な形の岩が点在しています。
千畳敷海岸の日の出です。
日本海でも日の出が拝める。驚きでした。
鯵ヶ沢で海岸に別れて42km、
津軽岩木スカイラインの入り口です。
好天に恵まれ正面に岩木山(1625m)が見えます。
別名津軽富士とも呼ばれています。
つづら折れの快適なドライブで
どんどん高度を上げ、8合目が終点です。
8合目から9合目まではリフトです。
9合目から本格的な山登りとなります。
足場は踏み固められていて、
浮石は殆ど無かったのですが
写真以上に急登の連続でした。
途中の登山道からの展望です。
眼下は津軽半島です。
ほぼ40分で頂上、360度の大パノラマです。
北に津軽半島、東に八甲田山、南に岩手山
さすが「津軽富士」と呼ばれる岩木山です。
頂上には岩木山神社の奥の院がありました。
坂上田村麻呂が平定を為し得たとして
山頂に社殿を再建して奥宮としたとありました。
スカイラインで下山、約10kmで岩木神社です。
創建1200余年の歴史を持つ岩木神社は、
本州最北端の鎮守の社です。
本殿・奥門・中門・桜門は重要文化財で
津軽の奥日光とも呼ばれています。
社の背景は岩木山の筈が今日は生憎雲の中です。
本殿の傍から滾々と湧き出している御神水です。
昔、岩木山に入山する際、
登山者は必ずここで身を清めたそうです。
弘前市内はもう直ぐです。13kmで市中心の弘前城です。
外堀に架かる亀甲橋を渡り、北門から入場しました。
直進すると三の丸の丑寅櫓に出ます。
更に進むと二の丸に出ます。
内堀に架かった赤い下馬橋を渡ると
本丸の弘前城天守閣です。
津軽平野を平定した初代為信は慶長8年(1603)に
幕府の許可を得て、慶長9年から築城工事に掛かり、
二代藩主となった信枚が慶長16年(1611)に完成、
その後、明治4年(1871)の廃藩置県に至るまで
260年間、津軽氏代々の居城でした。
現在は全国に桜の名所の公園として知られています。
国指定の史跡です。
北門の前には江戸時代からの商家で
現在は酒店である石場屋がありました。
この老舗は国の重要文化財に指定されています。
近くに武家屋敷が保存されていました。
お城の南方角に一際荘厳な寺院、最勝院がありました。津軽三代藩主の信義が戦死者を弔う為に建立したとありました。
五重塔は国の重要文化財に指定されていました。
弘前城から13km、弘前市・黒石市の中間に位置して、
村興しで一躍有名になった田舎舘村です。
これが村役場です。びっくり仰天とはこの事です。
ウィークデーにも拘わらず
天守閣へは長蛇の列、40分待ちでした。
天守閣から眺めた田圃アートです。
藩政時代から400年の歴史のある黒石温泉郷、温湯温泉共同浴場で汗を流して、
まだ時間があるので白神山地を目指す事にしました。
37km走行して、西目屋村の白神山地ビジターセンターに到着です。
15m×20mの超大型スクリーンは臨場感あふれる、圧倒的迫力で、ブナ原生林の四季を映像します。
素晴らしさ!美しさ!奥深さ!に圧倒されました。
更に山道を約13km走行して、
世界遺産の白神山地の真っ只中、
アクアグリーンビレッジANMONに到着です。
今夜はここの駐車場で車中泊です。
夕食はレトルトのカレーです。

15日(水) 走行距離   145.7km
昨夜から天気は下り坂で今にも降り出しそうな気配です。この辺りは熊の出没もあるので熊除けの鈴を着けて、
早朝白神山地の散策に出発しました。目指すは暗門第三の滝⇒第二の滝⇒第一の滝です。
遊歩道沿いにはブナやカエデ等々の木々が生い茂り手付かずの自然がいっぱいでした。
沢沿いに約45分で暗門第三の滝に到着です。
足場に注意しながら暗門第三の滝を登り、
暫く進むと暗門第二の滝です。
更に第二の滝を越えると
目指す落差26mの暗門第一の滝が現れました。
昨夜来の雨で水嵩が多くて滝に近付けず
撮影出来ませんでした。
熊にも遭遇せず無事滝入り口まで戻る事が出来ました。
散策距離 5.5km、150分の沢歩きでした。
弘前へはリンゴ畑の中を岩木山へ向かっての走行です。
岩木山の頂上は雲の中です。
つくづく昨日登って良かったと思いました。
約60km走行して五所川原市です。立倭武多(たちねぶた)の館にはお祭りで使った巨大な倭武多が展示されてありました。
間近で見ると、その迫力に圧倒されます。何時の日か実際にお祭りを見たいものです。
国道339号線を北上すると
大きな太宰治の銅像に出会います。
ここは太宰治の生まれ故郷です。
生家が太宰治記念館 『斜陽館』 として
保存されていました。
その前の駐車場に隣接して津軽三味線会館がありました。
津軽三味線の実演は約30分、¥500、この実演は是非にとmomijiさんのお勧めでした。
その迫力は凄まじく、心の底に響く演奏には感動でした。
近くの芦野公園です。
太宰治が幼少の頃、よくここで遊んでいたそうです。
生家に疎開していた頃、訪問客があると
公園を案内したり、歓談したということです。
公園内の太宰治文学碑です。
太宰治が生前もっとも愛誦したといわれる
ヴェルレーヌの詩句の一節が刻まれています。

『撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり
国道339号線を約20km北上すると、十三湖です。
周囲30km、水深は最大1.5mに過ぎない汽水湖です。
シジミが特産物とありました。
日本海沿いの国道を30km程北上すると、小泊村です。太宰治が2〜6才までの間、子守役をつとめた越野タケの故郷です。
記念館の庭にタケと一緒の銅像と小説「津軽」の一文がありました。小泊村での30年ぶりの再会場面が書かれています。
『タケはそれきり何も言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。
平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか・・・』  時は、太平洋戦争中の1944年との事、因みに小生は1940生まれです。 
更に国道339号線を北上すると、七つ滝があります。
名前の通り7段になって、日本海に注いでいました。
先端が竜飛岬です。どんどん天気が悪くなり、
今にも雨が降り出しそうな気配です。
龍が飛ばされる程何時も風が強く吹くので
名付けられたそうです。
竜飛岬の青函トンネル記念館です。
所要時間7分間、
このケーブルカーで体験坑道まで下ります。
海面下140mです。
実際の掘削に使われた機械や器具が展示され、
大工事の雰囲気がありました。
気温21度、湿度80%、大変な作業だったと
推察出来ます。
体験坑道に交差して、海底トンネルがありました。
ここで北海道から青函トンネルで来た
JRのツアーの人達と合流しました。
国道339号線は竜飛崎の手前で階段になります。
竜飛灯台から竜飛漁港までの388.2mです。
361段が日本唯一の階段状の国道です。間違えて国道と記載されたのが残っているとの事です。
現在は観光名所になっています。
階段国道を過ぎた小高い丘が津軽半島北端の竜飛崎です。先端には白亜の竜飛崎灯台がありました。
竜飛岬の19.5km先が北海道の松前半島です。
晴れていれば見えるのですが・・・
残念でした。
でもこの下の海底を鉄道が走っていると思うと
感無量です。
階段国道を迂回して海岸沿いに国道339号線で約12km、義経寺がありました。
義経伝説によるとここから北海道へ逃れたそうです。
津軽海峡沿いに25kmで道の駅、平舘に到着です。
フェリーターミナルにも近いので、道の駅に隣接するおだいばオートビレッジに宿泊する事にしました。
近くの町営不老ふ死温泉です。
津軽半島で最も古い温泉で
300年前には既にあったとありました。
黄金崎の不老不死温泉より古く、こちらが元祖とありました。
夕食は温泉帰りにコンビニで仕入れた、
焼肉弁当と餅入り味噌汁です。

16日(木) 走行距離  179.0km

前編-2 【秋田県・青森県・岩手県】 へ

旅のページに戻る