03. 西九州(佐賀県・長崎県)
約1.5kmで唐津城です。
徳川幕府により、取り壊しを命ぜられた
難攻不落の城だったとの事です。
その後、名護屋城の解体資材を用いて、
慶長13年(1608年)築城されたそうです。
唐津藩主の寺沢広高が築いた城で、
優雅な姿から別称を舞鶴城とも
言われています。
天主閣から見た唐津市内です。
東松浦半島を周回です。
海岸沿いに約18kmで呼子大橋です。
全長728m、日本で最大の斜張橋
とありました。
橋下には弁天島へと続く
弁天島遊歩橋です。弁天島では秀吉も
船遊びをしたとありました。
橋を渡った加部島には
大きな風車がシンボルの
風の見える丘公園がありました。
公園展望台の風景です。
天気が良ければ玄界灘は勿論、
隠岐・対馬も望めるとの事、
今日は天気が今一で、残念でした。
呼子はイカの活造りが有名です。
いか道楽でいか造り定食、¥2,835.也
これは絶品でした。
約4kmで名護屋城跡です。
今から400年程前、全国平定後
豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国へ
出兵するため、その前進拠点として
築かせた城です。
現在城跡のみが残っていますが
極めて広大な城跡です。
本丸跡との事、極めて広大です。
天主台から眺めた玄界灘と城下です。
約3.5kmで波戸岬です。
東松浦半島最北端の小さな岬です。
約20km程で大小45の無人島群の望遠が出来るいろは島展望台です。
展望台の近くでは数台の風力発電の羽が
ゆっくり回転していました。
約33kmで、道の駅松浦海のふるさと館です。山側に大きな兜があり、松浦党発祥の地とありました。
松浦党は、平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で組織された武士団の連合水軍との事です。
約17kmで中瀬草原キャンプ場です。無料のキャンプ場です。
一通り見学、場合によってはここでキャンプもありかな?と思いつつ先を急ぎました。
約3kmで平戸公園です。
平戸大橋を渡った所にあり、海と空の青に
深紅の橋全景が見渡せます。
景色が素晴らしいのでこの公園で
車中泊をする事に決定しました。
約3kmで、
聖フランシスコ・ザビエル記念教会です。
平戸を訪れたフランシスコ・ザビエル を
記念して建てられた聖堂で、寺院と教会が
同居する平戸独 特の教会との事です。
聖フランシスコ・ザビエル像と平戸殉教者顕彰慰霊之碑です。
約2.5kmで平戸城です。
1718年に平戸藩が海を外濠にした
山鹿流兵法で築城した城で、天守閣から
平戸瀬戸や平戸大橋が遠望出来ます。
約17kmで生月大橋です。
この橋が架かり生月島の最北端に
行ける様になりました。
約10kmで塩俵の断崖です。
雄大な柱状節理の断崖が続く
生月島西海岸を代表する景勝地です。
ここの柱状節理は、南北に約500m、
高さは20mもあります。
更に3.5kmで大碆灯台です。
生月島の最北端部は高さ100mの断崖、
その断崖の上に白亜の大碆灯台が
建っています。夕景の名所としても知られ、
海に沈む夕日の美しさは素晴らしく、
感動的との事でした。
約30kmで紐差教会です。紐差湾を望む高台に建つロマネスク様式の教会で、
平戸島最大の信徒をかかえる教会との事です。
約5kmで切支丹資料館です。
主に長崎県の隠れキリシタンに関する
資料が収蔵展示されていました。
小さな森ですが、資料館の横が霊地、おろくにん様です。
切支丹弾圧で処刑された多数の信者の遺体をここに葬ったそうです。
約25kmで再び平戸公園です。今夜はここで車中泊としました。夕食は久しぶりに自炊です。
レトルトのカレーと食後にコヒーとデザートの桃缶としました。
気付いたら平戸大橋にイルミネーションが点灯していました。
翌朝の日の出です。
朝食も自炊です。焼き餅を5切れと
インスタントの味噌汁にしました。
約22kmで長串山公園です。
長串山の頂上付近にある公園で
見晴台からは北九十九島、
一番奥には平戸島が望遠出来ます。
約10kmで、冷水岳公園です。
標高304mの冷水岳の山頂付近にあり、
展望台からは北九十九島や
条件が良ければ五島列島の展望が
出来るそうです。残念ながら今日は
そこまでは望遠出来ませんでした。
約45kmで、神崎鼻公園です。
日本本土最西端の地とありました。
因みに本土とは
北海道・本州・四国・九州の事です。
日本本土最西端の碑です。
前方は平戸島と生月島で、
現在は橋が架かっています。
何だかすっきりしませんでした。
約52kmで船越展望所です。
展望台から見る九十九島です。
大パノラマの展望は圧巻です。
特に 島々に沈む夕日は最高に美しい
とありました。
約20kmで、ハウステンボスです。オランダの街並みを再現したテーマパークです。
オランダ語で「森の家」の意味があるとありました。
駐車場前のアムステルダム中央駅モデルの全日空ホテルと入国・出国ゲートです。
オランダの風景、風車、街並み、ナイアローゼ城です。
ドムトールン(105mのシンボルタワー)です。
運河です。
初めてのハウステンボスの印象は入国者数より従業員の方が多い感じ、
これでは赤字、何れ倒産か・・・
約8kmで西海橋です。
大村湾の入り口に架る佐世保市と
西彼杵半島をつなぐ橋です。
流れが早く渦を巻いていて、
毎年自殺者が出るそうで、
自殺の名所になっているそうです。
西海橋が老朽化した為に平行に新西海橋が架けられました。
下に歩道のある新西海橋と渦を巻く急流です。
約20km程戻ると、
今夜の宿、佐世保第一ホテルです。
ここに宿泊する目的は佐世見⇒長崎間の
有料道路が無料なのと、
JR佐世保駅が日本最西端の駅なので、
写真が撮りたかったからです。
カトリック三浦町教会は
今夜の宿の隣の隣でした。
切り立った丘の上に立っています。
中央に大尖塔、左右に小尖塔のある
ゴシック様式の美しい教会です。
想定通り、駅構内に
日本最西端がありました。
先ずは記念撮影です。
長崎自動車道約46kmで、
大村湾PAです。
約40kmで長崎平和公園です。
園内の平和祈念像です。
右手は、天を指して原爆の脅威を示し、
水平に伸ばした左手は地上に
恒久平和あらしめよと
神の愛と仏の慈悲とを象徴している
そうです。
『長崎の鐘』とは爆心地に近い浦上天主堂にあった『アンジェラスの鐘』で、
原爆で崩壊した瓦礫の中から出てきた唯一の天主堂の証とありました。
平和祈念像の隣にある折鶴の塔です。
平和の泉と人生の喜び像です。遠くの山上には稲佐山展望台が望遠出来ます。
徒歩1kmで、大浦天主堂です。
爆心地の東北約500mの地点との事、
丁度ミサの最中でしたので、
最後列に列席させて戴きました。
とても厳粛で、心が洗われる
思いがしました。
約3kmで淵神社です。ロープウェー淵神社駅があります。
稲佐山山頂までロープウェーで
一気に上がります。
山頂展望台から
360°遮るものが無いので
大パノラマが展開します。晴れた日には
五島列島、雲仙が望めます。
又夜景は日本一と言う人もいます。
長崎は坂の町であるとつくづく思いました。
長崎港をまたぎ、長崎市西部と南部をつなぐ
1289mの女神大橋です。
約3kmで、眼鏡橋です。
石造2連アーチ橋で、水面に映る橋が
合わさった姿が眼鏡のように見える事が
名の由来との事です。
約1.5kmで長崎港です。
対岸に稲佐山展望台が見えます。
広いここの岸辺に駐車場がありました。
徒歩10分で大浦天主堂です。現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会で
日本で唯一国宝建築物に指定されている教会です。
隣接してグラバー園があります。
グラバー園の一番高い位置にある
旧三菱第2ドッグハウス
2階のベランダから眺めた長崎港と池のコイです。
三浦環の像です。
オペラ「マダム・バタフライ」において
ヒロイン蝶々婦人を演じ、
世界的に有名にした日本人オペラ歌手、
三浦環の記念像です。
約40kmで、諫早湾潮受堤防です。距離:8,515m(内堤防部分7,050m)
堤防の先に雲仙普賢岳が見えます。
約10kmで、雲仙岳災害記念館です。
火山の解説、災害資料が展示され、
噴火当時のニュースを思い出しました。
普賢岳が余りにも近いのに驚きました。
道の駅、みずなし本陣ふかえを経て、
約23kmで、仁田峠です。
島原湾の遠くに見える天草の島と普賢岳が真近に迫ります。
ロープウェーで妙見岳山頂へ、
眼下に島原湾が横には
平成新山(普賢岳)の溶岩ドームが
目前に迫ります。凄い迫力です。
仁田峠に唯一咲いていた
ヨツスジハナカミキリ です。
約7kmで雲仙地獄です。散策路を進むと
色々な地獄が登場します。
至る所から高温の温泉と噴気が噴出し、
強い硫黄臭が漂います。
五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を
犯した者は、この地獄で8,000年間
責め苦を負うそうです。
約22kmで島原城です。1616年、大和(奈良県)五条から島原に移封した松倉豊後守重政は
7年余の歳月を費やして築城、1637年、島原の乱で一揆勢が攻めた時、籠城軍は数少なかったが
籠城に成功した。
約3kmで武家屋敷です。
築城した際に藩士のために作られた
武家屋敷跡です。
約3.5kmで島原外港、フェリーで30分、熊本港です。
熊本ICを経て、32kmで北熊本SAです。
今夜はここで車中泊です。
夕食は途中のジャスコで仕入れた
赤飯・トンカツ・スパゲティサラダです。

次は 04. 天草を経て南九州(熊本県・鹿児島県・宮崎県) です。

次の12月08日(水)は 【田原坂-1】050 です。

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