滋賀県古代ロマン
漢書、魏志倭人伝によると西暦100年頃弥生時代後期我が国(倭国)は
100余りの小国に分かれていて紛争が絶えなかった。
西暦230年頃特異な霊能を持つ少女、卑弥呼を共立して小国を統合し、
耶馬台国を都として諸国を統制下に置いたと記されている。
それでは耶馬台国は何処にあったのか?

滋賀県埋蔵文化財センター
考古学者の間では九州説、大和説に分かれているが未だ確証は無い。
歴史上、大津京は中大兄皇子(後の天智天皇)が667年飛鳥から
壬申の乱までの5年間遷都した事になっている。
遷都した位であるから琵琶湖周辺には多くの人達が暮らしていたものと
想像出来る。その為か滋賀県には至る所に遺跡が在り、
発掘された文化財が約7万点あるそうです。この整理分類が今回のバイトです。
A級は博物館で展示出来る貴重な文化財、B級は県の文化財として
永久保存すべきもの、C級は廃棄である。
これらの資料から当時の生活様式や集落の様子が想像出来るので面白い。
毎日バイト仲間とこれで酒を飲んでいたとか、お粥を食べていた等々
勝手に話ながら作業を進めている。
例えば壺、必ず底が狭く一見不安定である。何故だろうか?
当時は土間で生活していたので穴を掘りそこに嵌め込んだ方がより安定するからと
推察できる。石山遺跡から大量の蜆の貝殻が発掘されている。
今でも石山寺の名物に”しじみめし”がある。
縄文時代からずーと続いているのかな?・・・  
ある時バイトの女の子が”キャー!ひ・・・人の骨”と悲鳴をあげた。
これも重要なA級文化財である。大体遺跡の殆どは墓穴を穿り返しているのだから、
人骨位出て来るわなと話す。これらのA級文化財がここ埋蔵文化財センターと
県立安土考古博物館に展示されている。安土考古博物館には信長時代の
茶室や安土城関連の展示もあり、歴史に興味の有る人は必見である。

滋賀県立安土考古博物館
滋賀県には銅鐸も沢山出土している。銅鐸は弥生時代に造られた青銅製の
 『まつりのカネ』 で鋳造技術は中国・朝鮮半島から伝来,後に銅鐸は大型化して
<聞く銅鐸>から<見る銅鐸>へと変化して行く。
豊作を祈り、収穫を感謝する祭りに使用される様になる。

滋賀県大岩山銅鐸
大岩山からは24個の銅鐸が出土、中には日本最大の銅鐸もある。
バイトも半年間で終了、もう興味のある出土品も無くなりそろそろ単純作業に
厭きが来た所でバイト終了は好都合であった。

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