5.沖縄本島・慶良間諸島

5日間お世話になった美ら宿石垣島の
フロント横の掲示室です。
宿泊者が思い思いに記念に写真を掲示しています。
この施設には男女別のお風呂・水洗トイレがあり、
洗濯乾燥機や結構広い物干し場があり、
調理場には電磁調理器・電子レンジ・大型冷蔵庫が
設備されていました。
近所に公設市場・コンビニ・マックスバリューがあり、
食材の調達が出来て、山での自炊に慣れている
小生には毎日の食事も又楽しいものでした。
何より共有部分の掃除が行き届いていて、
オーナーや事務の女性が気安く、
又宿泊者に外国からの旅行者・女性・学生多く、
会話が弾み、楽しい5日間を過ごせました。
チェックアウト前の部屋と談話室に置いた荷物です。
これで1泊¥2600.感謝、感謝でした。
タクシーで石垣空港へ、沖縄那覇空港へは8:50分発JTA070便です。
搭乗前の石垣空港です。
今日も快晴で、島々が見えます。
沖縄本島に着く前に通過した慶良間諸島です。
後日ここにはダイビングツアーで来る事になっています。
高速船で沖縄本島から90分程の距離です。
那覇空港では出迎えのバスで日本レンタカーの事務所へ、手続きしてレンタカーでの沖縄本島周遊に出発です。
先ずは首里城公園です。
守礼門です。
守礼とは『礼節を守る』という意味で、
琉球は礼節を重んずる国であるという
意味があるとありました。
歓会門です。
首里城の城郭内へ入る第一の正門で、
歓会とは歓迎するという意味があるそうです。
第三の門の漏刻門です。
身分の高い役人は駕籠にのって首里城へ登城したが、
高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りた
ということからそのように呼ばれているそうです。
広福門前から望遠した城壁と城下町の那覇市内です。
正殿への入り口、広福門と奉神門です。
首里城正殿と御庭です。
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿です。
文字通り全国百の浦々を支配する象徴として
最も重要な建物だったとありました。
正殿内の玉座です。御差床 国王の玉座として
様々な儀式や祝宴が行われ た所とありました。
首里城の巨大な城壁です。ここ首里城は世界遺産に登録されています。
玉陵は首里城守礼門から300m位です。第二尚氏王統の墓で、国指定重要文化財・世界遺産です。
1501年に尚真王によって父の尚円王の遺骨を改葬するために作られたとありました。
墓室は3つに分かれ、中央は洗骨前の遺骸を安置する部屋、東側には洗骨後の王と王妃、
西側には玉陵碑に記されている一部の家族が葬られているとありました。
3.5km、約10分で識名園です。1799年に造営、琉球王最大の別邸で、国王一家の保養や
中国皇帝の使者の接待の場にも利用されたそうです。
那覇ICから西原ICへ、約10km、20分で、
嘉数高台公園です。海抜92メートルの高台で、
かつては日米両軍が攻防した激戦地だったそうです。
展望台からは普天間米軍基地と東シナ海を望め
360°のパノラマです。
公園の階段を上った場所に展望台がありました。
展望台から見えるのが普天間基地です。
沖縄県民の御苦労が身に染みました。
再び高速道路で西原IC⇒許田ICへ、沖縄最北の辺戸岬を目指します。
途中おおぎみで休息です。海岸線がとても綺麗でした。
125km,3時間半で沖縄最北の辺戸岬です。
太平洋と東シナ海に面する 岬で隆起サンゴ礁の断崖を
紺壁の 海が取り囲む 景勝地です。
岬から望遠出来る与論島です。
本土復帰を願い辺戸岬と与論島で
かがり火を焚いたそうです。
岬に建てられた「祖国復帰闘争碑」には、
沖縄の歴史が刻み込まれていました。
岬にあるヨロン島・国頭村友好記碑です。
1kmで3階建てのヤンバルクイナ展望台です。ここの山はヤンバルクイナの生息地です。
展望台の傍にあるヤンバルクイナ像は巨大でとてもリアルな姿でびっくりでした。
辺戸岬と宇佐浜ビーチが一望できます。
3km、10分で茅打バンタです。高さ80mもある断崖が東シナ海へ向かって切り立っています。
バンタとは崖の事で、束ねた茅を落とすと吹き上げる風でバラバラになった事が名の由来とありました。
崖の展望所からは宜名真漁港が眼下に広がる沖縄海岸国定公園の海を展望できる景勝地です。
東シナ海沿いに曲がりくねった道を約50km、
約2時間走行で、古宇利大橋です。
全長1960mの古宇利島に架かる橋で、
海の中を真っ直ぐ走ります。
約30km、70分で今帰仁半島の先端にある備瀬集落です。この集落の家々にはフク木が生い茂っています。
並木の中に入ると沖縄の強い日差しはうそのようで 木漏れ日が気分爽快にさせてくれます。
海岸に出ると伊江島が目の前に見えます。
約1kmで海洋博公園内にある沖縄美ら海水族館です。
公園内には色々なモニュメントがありました。
世界最大のアクリルパネル
高さ8.2m、幅22.5m、厚さ60cmの
『黒潮の海』ではジンベイザメやマンタが優雅に泳ぎ、
回遊魚が力強く泳いでいました。
5km、約10分で瀬底大橋です。大橋を渡り、島の突き当りが瀬底ビーチです。
約35kmで今夜の宿のホテルルートイン名護到着です。右は大浴場の湯船からの眺望です。
個人の旅行ではホテルや旅館は好きではありません。
例え自炊でも、若者達と会話を楽しめる様な宿が好きです。仕方なしの宿泊となりました。
早朝に出発、約22kmで万座毛です。琉球王朝時代、尚敬王 が『万人を座するに足る』と賞賛したことが
名の由来との事、写真のように 断崖の先が象に似てることでよく知られています
約30kmで海中道路ロードパークです。与勝半島と平安座島を結ぶ全長4.7kmの海上道路です。
中間地点のロードパークには『海の駅あやはし館』がありました。
海岸沿いに自生しているパイナップルに似た
アダンです。波照間島にも自生していました。
海中道路を戻り、約12km、30分で世界遺産の勝連城跡です。
阿麻和利(あまわり)が居城した城で、沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃との事です。
阿麻和利は琉球統一をめざし国王の居城である首里城を攻めたが落城して滅びました。
小高い山の上にあるので城からの景色は最高です。
約15km、35分で、世界遺産の中城城跡です。
15世紀中頃、首里王府に対抗する勝連城主の阿麻和利を牽制するために、
国王重臣の護佐丸が国王の命令により移り住んだが
琉球王権を狙う勝連城主の阿麻和利に攻められ自害したが、その後阿麻和利は国王軍に滅ぼされ、
これにより首里城を中心とする王権は安定したそうです。
約25km50分で、世界遺産の斉場御嶽です。
琉球創世の神あるアマミキヨが国始め造った七御嶽の一つで、琉球最高の聖地との事です。
約20km40分で、平和祈念公園です。平和の丘と六角形の沖縄平和祈念堂です。
平和の礎です。世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の区別なく、
沖縄戦などで 亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑です。
平和の火です。
円すい形の中に消えることの無い種火 が灯っていて、
沖縄県民の平和を願う心とありました。
最後の激戦地となった『沖縄戦終焉の地』に造られている沖縄平和祈念資料館です。
沖縄戦の記録写真や遺品などを展示しています。涙を流しながら見学しました。
沖縄戦終焉の地の海岸です。
ここで激しい激戦があったそうです。
近くの沖縄師範健児の塔です。沖縄師範学校男子部等の生徒 によって編成された
鉄血勤皇隊犠牲者を祀った碑で、ひめゆりの塔の男性版との事です。
約4km10分で、ひめゆりの塔です。ひめゆり学徒は沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成され、
本部、太田、第一、第二、第三の各外科壕に配属され、戦闘が激しくなり、ひめゆり学徒の解散命令がでて、
脱出のため、現在ひめゆりの塔がある第三外科壕に集合したが、ガス弾で多数の死者を出してしまいます・
沖縄戦末期の激しい 戦闘でほぼ全滅した南風原陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑です。
ひめゆり平和祈念資料館です。
ひめゆり学徒隊に関する展示です。
約7km20分で、沖縄最南端の喜屋武岬です。沖縄戦で米軍に追いつめられた島民 が逃げ場を失い

ここから身を投げたという悲しい歴史の残る場所です。

岬に平和の塔がありました。
沖縄本島最南の喜屋武岬にある部隊は
進行を続け米軍に対して迎撃を続けたが、
昭和20年6月20日、喜屋武部落周辺で全滅、
住民はこの崖から身を投げて自決したそうです。
約20km50分で、ホテルラッソ那覇泊港です。
一旦チェックインして、空港近くの日本レンタカーへ、
ユイレールで空港⇒美栄橋駅、
徒歩10分でホテルです。
翌朝、泊港からシュノーケリングツアーです。
高速船で慶良間諸島を目指します。慶良間諸島までは90分程の航行です。
シュノーケリングは小生一人だけで、他は全員アクアラングの人達です。
慶良間諸島に到着です。場所を移動して、午前中2回、午後1回のアクアラングをします。
1回のアクアラングは40分位です。皆が出発後にシュノーケリングを楽しみました。
石垣島でシュノーケリングの指導を受けたのが役立ちました。ドルフィンキックや耳抜きをマスターしたので、
深い海も、潮の流れも大丈夫で船から離れた場所でも楽しむ事が出来ました。
船に戻って来るアクアラングの人達です。
アクアラング後の一休憩です。ここまで来ると海の色が綺麗で透明度がとても高いのです。
2回目のシュノーケリングです。
この海域は透明度が高く、熱帯魚も多いのですが、珊瑚が皆無でした。
船長さんの話によると台風で珊瑚が全て消失してしまったとの事でした。
しかし熱帯魚は多く、1m位の大ウミガメにも遭遇して満足・満足・でした。
午後2時半、慶良間諸島を後にしました。
日が指すと、紺碧の海の色は一層鮮やかになります。
素晴らしい海でした。
午後3回目のシュノーケリングです。アクアラングを止めてシュノーケリングをする人もいました。
午後2時半、慶良間諸島を後にしました。
日が指すと、紺碧の海の色は一層鮮やかになります。
素晴らしい海でした。
ツアーの会社の人が港から10分程の
今夜の宿アパホテルに送ってくれました。
今日で旅行のスケジュールが終了、
明日のJAL出港、15:05発までの
時間だけとなりました。パソコン・お土産・その他を
宅急便で自宅へ送る手配をして
出来るだけ身軽になる様にしました。
園内は静かで、予定外の見学でしたが、中国式庭園を堪能出来ました。
孔子廟への街路樹、ハイビスカスとハワイで良く見掛けるゴルデンシャワーが満開でした。

ハイビスカス

ゴールデンシャワー
約10分で孔子廟です。中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟です。
来た道路を戻り県庁前駅を経て国際通りです。
お土産を物色しながら散策です。カフェで昼食、
食後のデザートは南国豊かなフルーツの
盛り合わせです。
マンゴー・パイン・ドラゴンフルーツ等々です。
横道の公設市場です。
郷土色豊かな商店街で賑わっていました。
ユイレール、美栄橋駅から那覇空港駅へ。
那覇空港⇒関空は定刻15:05発です。
搭乗待合場所までの長い廊下には
胡蝶蘭の鉢が並んでいました。
長旅で疲れた体を癒して呉れました。
那覇空港発15:05、関空着17:05定刻通りに到着です。帰路は天気が悪く雲の上の飛行になりました。
関空(17:46発)⇒京都(19:02着)、20時無事帰宅しました。

6.あとがき
沖縄旅行で紺碧の海やエメラルドグリーンの珊瑚礁に会うにはギラギラ照付ける太陽が不可欠です。
沖縄までは思ったより、飛行距離があり航空運賃が高いのです。どうしても1か月前に予約する
早割航空券(約50%引き)をゲットする必要があります。沖縄旅行を成功させるには
如何に天気を読むかに掛かっています。今回は過去10年間の台風を調査して計画しました。
台風5号が通過後に出発、帰宅後1か月、8月中に台風6号〜12号が発生しました。
今年は台風の当り年でした。旅行期間中は全て快晴、良い旅が出来ました。
シュノーケリングで最高のお勧めは自然が残されている西表島最南端の『星砂の浜』です。
干潮時は珊瑚礁が浅くなり、熱帯魚だけで無く、30cm以上の石鯛やブダイ等々が顔の傍に寄って来ます。
最高のシュノーケリングを楽しむ事が出来ました。
日本全国を歩きましたが、南国、沖縄の海の美しさは最高です。
何もハワイ等々外国まで出向く必要はありません。我が国程素晴らしい国は無いとつくづく思いました。
10年間の長期に亘り、『日本の旅』を御高覧戴き有難う御座いました。
当年72歳、家族に心配を掛けるので長期旅行はこれにて終了です。
2012年は散歩を兼ねて、京都を歩き廻る京都のお寺巡りを計画しております。
5月頃から、名園巡りで、雅と歴史を掘り下げてUPする計画です。御期待下さい。ではでは・・・

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