08.宗谷(オホーツク海側)・稚内・礼文島・利尻島


早朝出発、道の駅 あさひかわ⇒士別⇒道の駅 美深(小休止)⇒音威子府⇒中頓別鍾乳洞 一気に170km走行、
日本最北の鍾乳洞の中頓別鍾乳洞に到着です。
近くのウソタンナイ砂金採掘公園です。川辺がキャンプ場で小学生がキャンプ生活を楽しんでいました。
砂金本当に採れるの?   採れないそうです。
3km走行で、ラムサール条約の指定地、クッチャロ湖です。
オホーツク海沿岸の日本最北の湖です。
コハクチョウが繁殖地の北シベリアと本州を往き来する途中、
羽を休めに立ち寄ります。
日本に飛来するコハクチョウの約80%(約2万羽)が利用し、
秋や春は湖面が真っ白になるそうです。
その他カモ類を中心に280種以上の鳥類が観察されています。
なぜかコハクチョウはクッチャロ湖、ハクチョウは屈斜路湖に
決まっているそうです。
東隣がベニヤ原生花園です。海浜地帯・草原地帯・湿地帯・森林地帯の自然環境が混在しているそうです。
一周30分程の遊歩道があり、散策しました。正面がオホーツク海です。
駐車場にある展望台からは360°の景観で、
沢山の花パネルが展示されてありました。
花の最盛期は5月〜9月末で
約100種類の花が楽しめるそうです。
オホーツ海沿いに30km走行、さるふつ公園です。オランダ風の建物が並んでいます。右の建物はトイレでした。
昭和14年12月、沖合いでインディギルカ号が遭難、
村民総出で救出活動をして400名を 救出しましたが、
700名は命を失いました。
この海難事故の犠牲者の慰霊とありました。
オホーツク海沿いに30km走行、とうとう辿り着いた最北の地  宗谷岬  です。
近くに間宮林蔵の像と宗谷岬の歌碑がありました。
間宮林蔵は1809年(文化6年)幕府の命で樺太探検して、樺太が島である事を発見しました。
後に偉業を称えられて、この海は間宮海峡と命名されました。世界地図に名を刻む唯一の日本人です。
とうとう来ました日本最北端の地です。
近くで宗谷岬の曲が繰り返し流れていました。
流氷とけて、春風ふいて、ハマナス咲いて、カモメもないて、・・・ 
記念に日本最北端到着証明を購入しました。
北緯45度31分14秒到着、2006.07.30.10:01でした。
日本最北端の売店でホタテの串焼きをたらふく食べました。
これは美味しかったですよ・・・
小高い丘の上に旧海軍望楼と日本最北端の宗谷岬灯台がありました。ロシアとの関係が悪化した為、
国境の備えとして1902年(明治35年)に建てられ、日露戦争の時はバルチック艦隊を監視していたとありました。
その近くに折鶴のモニュメントがあり、その先には宗谷丘陵が果てし無く続き風力発電の風車が廻っていました。
このモニュメントは1983年(昭和58年)大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と世界平和を願って遺族会が建てたとありました。
『愛と誓いを捧げます。・・・』の碑文はニュースを知っているだけに胸に迫る思いが込み上げて来ました。
ちょっと一言! 
大韓航空機事件、乗員・乗客269名全員死亡2006.8.16 ロシア警備艇が丸腰のカニ漁船に発砲して一人射殺して、
3人を拿捕、領海を侵犯したとの理由で何の躊躇も無く発砲する。人名軽視の国、ロシア人気質は忘れてはならないと思います。
稚内駅です。日本最北端を実感、車止めが印象的でした。
駅の先はオホーツク海です。
古代ローマ建築を思わせる500mも続くアーチ型の防波堤は一際美しい光景を造り出していました。
駅裏の食堂で食べた海鮮丼です。¥1700、美味しかったですよ!
丘の上にある稚内公園からの市内です。
フェリーも見えます。
公園内には記念碑やモニュメントが点在しています。
二本の柱はサハリンへの望郷の念を、
女性像は氷と雪の中で逞しく生き抜いた人々を
表現しているそうです。
その隣には九人の乙女の碑がありました。太平洋戦争集結の玉音放送の日から5日後
ソ連がサハリンに侵攻、9名の女性交換手が任務を全うして最後に自ら命を絶ったとの事、
最後の言葉 『皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら、・・・』 が刻まれてありました。
1956年(昭和31年)南極観測隊に同行する為に、
稚内周辺から樺太犬が集められここ稚内公園で訓練され、22頭の樺太犬が南極へ渡りました。
この年観測隊は自然の猛威に晒され、樺太犬を鎖に繋いで現地に残して、やっとの思いで帰国しました。
その後観測が再開、4年後鎖を食い千切り生き延びたタロとジロが確認されました。
タロとジロとの感動的な出会いのニュースは国民を釘付けにし、映画化もされた事を未だに覚えています。
ジロはその翌年南極で死亡、タロは10年後北大で永眠、
ジロをモデルにした南極観測樺太犬記念碑です。
その隣の死んだ犬達を慰霊する南極犬のお墓です。
稚内の北にあるノシャップ岬です。アイヌ語で波の砕け散る所と言う意味があるとありました。
天気が良ければサハリン・利尻・礼文島が望めるそうです。今日は曇天で何も見えませんでした。
先端に稚内灯台がありました。
直ぐ近くにある日本最北の温泉、稚内温泉『童夢』です。
日没までの時間調整をしました。
一汗流して、広い湯船で極楽、極楽でした。
近くの夕陽丘パーキングへ、利尻岳のビューポイントで有名です。日没前に利尻岳が現れ夕日が没して行きました。
今夜は稚内公園内のキャンプ場で車中泊です。夕食は途中の弁当屋さんで購入した大盛トンカツ弁当です。
翌早朝、日の出に遭遇、
同じ場所で日の出と日の入りが見れる。
これは発見でした。
1978年に建てられた開基百年記念塔です。
高さ70Mの展望塔はマイカーと比較すると
その巨大さが解かります。
花の島、礼文島へ
稚内港(AM6:20発)⇒礼文島、香深港(AM.8:15着)
途中、利尻島横を通過です。
薄雲の中に微かに利尻岳が見えます。
明日はあのピークを極める予定です。
明日、天気になーれ!
稚内から1時間55分の船旅で、花の島、礼文島の香深港へ着港です。
礼文島には5時間しか居られません。直ぐに観光バスで島巡りに出掛けました。
香深港⇒桃岩展望台⇒桃岩猫岩⇒澄海岬⇒スコトン岬⇒香深港のコースです。
花の島礼文島の玄関、香深港の南西に桃に似た標高250mの山が桃山です。
展望台への道端には沢山の高山植物が咲いていました。
桃岩展望台からの桃山(250m)です。
現在はもう少し細くなっている雄さんです。
海岸に猫岩がありました。
猫の後姿で、顔は見えませんが想像出来るのが面白いです。
島を北上、西北部にある澄海岬です。
海水はとても透明度が高く、海底までみえます。
南国の海のように鮮やかな美しいブルーでした。
礼文島最北の岬、スコトン岬です。
前方にトドが寝そべっている様に見えるトド島があります。
スコトンとはアイヌ語でサコタン、夏だけの集落との
意味があるそうです。
宗谷岬より僅かに南に位置するので最北端では無く 『最北限の地』 碑が立っていました。
近くに売店があり、最北限の焼トウモロコシ・最北限の牛乳・最北限のトイレ等々です。
何でも最北限が付いています。何だか、記念にトイレに行きたくなるから不思議でした。
フェリー最終便、
礼文島香深港(13:45発)⇒利尻島、鴛泊港(14:25着)
40分の船旅で利尻島へ
海上からの利尻島は島全体が利尻岳です。
海抜0mからの登山で、厳しい登山になりそうです。
利尻島、鴛泊港です。
フェリーターミナルには7/31・8/1予約しておいた
『お宿マルゼン』 が出迎えて呉れました。
早速、チェックインして利尻岳麓の利尻富士温泉に
送って貰いました。 
露天風呂で明日入山する四国から来ている人に会い
話しが弾みました。
明日はAM.4:00に登山口まで送って呉れるとの事、
明日天気になーれです。
2006.8.1 AM.4:00 予定通り出発。
今日は天気が崩れそうで心配です。
10分で3合目甘露泉水に到着、
この甘露泉水は北海道三名水の一つです。
水2L補給して出発です。
75分で5合目到着、出発して来た鴛泊を望遠
昨日露天風呂で山談議をした青年に出会いました。
この青年とは頂上までずーっと一緒でした。
しかし名前は最後まで知らないままで、
頂上で別れて下山しました。
更に35分、第一見晴台(6合目:770m)で
礼文島を望遠。
更に90分で長官山(8合目:1218m)到着、
予定通りの登頂時間で来ています。
長官が部下と一緒に登ったが余りにも厳しかったので
ここで引き返したので名付けられたそうです。
9合目以上は難所連続のガレ場で、ザイルに掴まり一歩踏み出すと半歩摺り落ちる程の急坂でした。
出発して6時間やっとの思いで
AM.10:30利尻岳(1719m)に登頂しました。
利尻岳は日本百名山で必ず最初に登場する山で、
旅の第一目標でした。万歳!、万歳!、万歳!、です。
偶然雲が晴れたら有名なローソク岩が直ぐ傍に聳えていました。
頂上で30分程休憩して、高山植物の撮影をしながら下山する事にしました。
接写で屈むと、疲労で足が悲鳴を上げます。我慢、我慢の連続でした。
翌日朝食後、出航までに時間があったので、
鴛泊港の傍にあるペシ岬展望台(99m)に登りました。
昨日登った利尻岳は雲の中でしたが
眼下の鴛泊港にこれから乗船するフェリーが
到着する所でした。
鴛泊港(AM.11発)⇒稚内港(12:40着)で
利尻島を離れました。
もう訪れる事は無いと思います。
利尻島、そして親切にして呉れた皆さん
さようなら、さようなら、さようなら、・・・

次は 09.宗谷(日本海側)=オロロン街道 です。

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