02.函館

旅の始まりは函館からと決め、
出来るだけ近くへ行く計画でした。
苫小牧東港20:30着、日高自動車道⇒道央道で
予定通り有珠山SAに到着して車中泊としました。
夕食はブドウパンとミカンの缶詰で軽く済ましました。
今日はつくづくカーナビの素晴らしさを痛感しました。
眼下に伊達市と内浦湾が広がっています。
内浦湾越しに見える筈の駒ケ岳は雲の中です。
残念です。
曇っていた空が晴れ上がり、
駒ケ岳の雄姿が現れました。駒ケ岳は大好きな山で
ここが最高のビューポイントです。
大沼国定公園は駒ヶ岳の噴火により
堰き止められて出来たもので、沼に浮かぶ
島々が橋で結ばれて遊歩道になっています。
約40分程の散策は次々に景観が変わり
あっと言う間に終了でした。
函館駅横の朝市です。
念願の本場のイカソーメンで朝食、流石本場物は旨い、
満足でした。
函館駅から海沿いに約25km、トラピスト修道院です。
北大のポプラ並木は台風で倒壊したそうです。
このポプラ並木が歩きたくて10年振りの訪問です。
本館正面までの30分間の散策は
当時と全く変わらない雰囲気で感動でした。
これがまさしく北海道と思いました。
本館正面です。
日本で最初に建てられた男子の修道院で、
畑の開拓や農耕、酪農などに力を入れ、
トラピストバターやクッキー、バター飴などは
函館名物になっています。
お土産に懐かしいバター飴を買いました。
再び市内に戻り、函館山ロープウエイ山麓駅に
隣接した無料駐車場に預けて異国情緒あふれる
坂道と教会を散策です。

徒歩5分で護国寺です。
戊辰戦争以降に戦死した
政府軍兵士の墓がありました。

1869年(明治2年)討伐体制を整えた新政府軍は
榎本軍(旧幕府軍)に攻撃を開始、函館湾開戦で
新政府軍 『朝陽』 は榎本軍の砲弾を受けて沈没、
朝陽の副艦長以下73名の戦死者が出たとありました。
1874年(明治7年)にイギリスの宣教師デニングが
函館を訪れ伝道をしたとの事、上から見ると
屋根が十字架の形に見えるように設計された
英国プロテスタント教会とありました。
1859年にフランスの宣教師メルメ・デ・カションが
仮聖堂を建てたのがはじまりで、祭壇はローマ法皇
ベネディクト15世から贈られたそうです。
ゴシック様式の現役のカトリック教会、祈りの場です。
幕末の1859年(安政6年)に建てられた
日本最古のギリシア正教会で、重要文化財に指定されている
北海道を代表する建物とありました。
函館山の麓に開けた坂の町函館です。
坂がまっすぐ函館港へ通じています。
1910年(明治43年)に建てられた左右対称の建造物、
パステルブルーの壁をイエローが鮮やかに
縁取っています。
館内は和洋の調和が見事で、重要文化財です。
二階には130畳の大広間があり、
当時の華やかな雰囲気がそのまま残っています。
明治の面影を残す木造洋館です。
バルコニーからの函館港の見晴らしも良く、
入場料¥300.一見の価値は充分あります。
1854年(安政元年)ペリー来航の際に同行して他界した水兵を埋葬したのが始まりとの事、港を見下ろす高台にあります。
1870年(明治3年)在函館領事館5カ国の要望で外国人墓地とされたそうです。
近くに高龍寺がありました。函館最古の寺院です。境内にある 『傷心惨目の碑」』 は
箱館戦争で、旧幕府軍の野戦病院だった時、官軍が押し寄せ会津藩などの傷病兵を惨殺したそうです。
その悲劇を偲んで作られた とありました。
直ぐ傍の土方歳三の供養塔のある称名寺です。新撰組のゆかりのお寺で屯所だったそうです。
立待岬の近く、函館山の麓に碧血碑がありました。
函館戦争の際、官軍と戦い戦死した旧幕府軍
約800名の霊をまつる慰霊塔です。
明治8年に建立された とありました。
旧函館区公会堂下の元町公園を下ると、
そこにペリー提督像がありました。
1854年、日米和親条約が締結され、
函館・横浜・下田の3港が開港された とありました。
アメリカ海軍提督のぺりーが箱館入港の際に、
松前藩の家老と会見した場所で、
現在は交差点に説明板だけが残っていました。
開港後、函館を中心に世界各国の領事館が出来、
元町教会エリアが出来たそうです。
函館駅も綺麗に変身です。2Fに多目的ホールがあり、アクセスポイントでした。早速、メールの送受信をしました。
ホール隣のレストランでの昼食です。 海鮮丼、¥1,000なり旨かったですよ!
函館空港に向かう国道228号線沿いに
啄木小公園があり、啄木坐像があります。
後ろに遠く立待岬が望めます。
過っては、砂浜でハマナスが咲き乱れ、
啄木が好んで散歩していたそうです。
公園から約15km、函館空港の奥に
トラピスチヌ修道院がありました。
明治31年、フランスの修道院から派遣された
8名の修道女によって設立された
日本最初の女子修道院です。
一度修道女となれば俗世から完全に隔離され、
外室は選挙などに限られるとか・・・
一生を神に捧げ、厳格な戒律に従い、
共同生活に入り、祈り、読書、そして農作業などの
労働が生活中心となり、会話は必要最低限に限られ
沈黙が義務付けられるそうです。
起床 AM.3:30 、 就床 PM.7:45

現在の若者には無理な様ですね・・・
修道女の皆さんに若い人はいませんでした。
市内の五稜郭近くに
土方歳三最期の地がありました。

『新撰組土方歳三 は、50名の兵を率いて
函館市街を奪還するために一本木関門より
突撃するが銃弾によって倒れた』 旨
書かれています。
最期の地に建てられた土方歳三のお墓です。
多くの人達がお参りしている様で
綺麗な花が手向けられています。
しかし、歴史上は何処で討ち死にしたのか
又何処に埋葬されたのか定かでないそうです。
日米和親条約締結による函館開港に伴い
防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために
築造されたとありました。
あまりにも広大な為、98mの五稜郭タワーでも
星型の半分程しか見えない状況でした。
五稜郭は戊辰戦争の最後の戦いの地です。
大鳥圭介隊と土方歳三隊の両隊が五稜郭を占拠し、
1869年(明治2年)1月に蝦夷共和国を樹立、
同年5月新政府軍に敗北し明け渡されたとありました。
JR七飯駅に近い国道5号線沿いにあ
日帰り温泉施設です。 ¥400.
函館山の夜景を見る為に、ここで時間の調整して
日暮れを待つ事にしました。
函館駅近くのベイアリアに立つ赤レンガ造りの
倉庫群です。
お土産や雑貨を扱うショップが並んでいます。
写真撮影のみで函館山へ直行しました。

金森倉庫の詳細です。
http://www.hakodate-kanemori.com/
ロープウエイで3分、
世界三大夜景の一つと言われている夜景を堪能、
100万ドルの夜景は何度見ても感動ものでした。

途中、夕食としてJR森駅で名物駅弁のイカ飯を
2個購入(¥760)、
函館山⇒JR森駅⇒国縫IC⇒虻田洞爺湖IC⇒
洞爺湖 約200km、洞爺湖着23:40、夜間走行、
今夜は湖畔の公園で車中泊です。

次は03.洞爺・室蘭・登別・支笏湖です。

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