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我が人生と陶芸との出会い |
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気付いたら、東京で生まれ育ち、北鎌倉で結婚⇒逗子⇒東京⇒相模原 | ||
横須賀⇒大津⇒名古屋⇒大津と8回の転居をしていました。 | ||
何時の間にか子供達も嫁ぎ夫婦二人になっていました。 | ||
人間って何の為に働くのだろうか? | ||
良い人生とは何なのか考える様になりました。 | ||
死ぬ間際に、幸せなら自分の人生は良い人生だったと思うだろうし、 | ||
逆に不幸せだったら、つまらない人生だったと後悔するだろう。 | ||
だから今日1日を大切にしなければならない。 | ||
これが私の出した答えでした。 | ||
偶然名古屋の時、自宅を焼き物の町瀬戸に構えたのが | ||
焼き物との出会いでした。55歳の時、意を決して退職し、 | ||
愛知県立窯業高等専門校に入学しました。 | ||
同級生は製造一科・製造二科・デザイン科約100名、 | ||
私のクラスは製造二科で30〜65歳の30名でした。 | ||
それぞれが異なった人生を歩み、全く上下関係が無く | ||
焼き物に魅せられた人達の集団でした。 | ||
中には陶芸作家を志している人もいました。 | ||
私にとって過去の仕事人間から脱皮する為の最高の場になりました。 | ||
楽しい1年間でした。あっと言う間に卒業となり、 | ||
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大津の自宅庭に小さな陶房を造り、陶芸を始めました。 | |
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陶房 雄 と名付けました。 | ||
所があれほど望んだ人生なのに1ヶ月も経たない内に後悔する様になりました。 | ||
毎日が日曜日です。24時間自分の自由時間です。 | ||
1日の中味がどんどん薄れて行く事に気付きました。 | ||
外に出れば近所の人から何処かお体でも悪いんですかと言われる始末。 | ||
社会から取り残されて行く様な錯覚に陥り、 | ||
段々萎縮して行く自分が情け無く思う様になりました。 | ||
少ない休日を目一杯使って余暇を楽しむ。 | ||
これに価値が有る事に始めて気付きました。 | ||
4年前、職業安定所で紹介され物流センターの所長として再就職しました。 | ||
後談になりますが、面接の時私の目が一番生きていたと社長から言われました。 | ||
望まないのにどんどん仕事のエライさんになってしまい、 | ||
とうとう本社転勤となり、専務取締役になってしまいました。 | ||
150名の社員の長として、会社経営をする羽目になってしまいました。 | ||
責任の重さは計り知れない物が有り、自分の目指していた人生設計が狂ってしまい、 | ||
申し訳なかったのですが、60歳で区切りを付け引退させて戴きました。 | ||
現在年金生活者です。しかし以前とは違い実に楽しい充実した人生を送っています。 | ||
これは年齢の精かも知れません。健康に感謝です。 | ||
自分の人生で今が一番いい時かも知れません。少しでも長続きする様に | ||
努力して行く積りです。 | ||