八代城の概要 八代城は日本三急流の一つである球磨川の河口に位置する平城で、加藤忠広が元和8年(1622)に築城してものである。加藤氏が改易後、細川氏が入城し、重臣の長岡氏(松井氏)が明治3年まで250年の長きにわたり在城した。 八代城は本丸部をはじめ、二の丸、三の丸、北の丸、出丸とその威容を誇ったが、明治以降次々に埋め立てられ、現在は本丸部の遺構をとどめるにすぎない。 |
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フカチャンマンのお城めぐり 八代城は城代の城とは思えないほどの威容を誇る。現在は石垣や濠が残るだけだあるが、石垣も高くさすがは熊本城の支城である。 天守台も立派で穴蔵付であった。左の写真のように規模の大きな穴蔵付の4層天守が立っていたようである。その南にも穴蔵付の2層3階の小天守が付属していた。 |
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現在天守等はないが、当時は大変な威容を誇っていたと思われる。 左の写真は博物館にあった八代城の模型である。見てみると、天守は4層で飾り破風のない層塔天守であったようである。 珍しい天守であるので、復元計画が進むのを願っている。 |