paris
           パリ    2004/6/18〜25


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蒸し暑い日本を脱出。関空を18日のAM11時半。シャルルドゴール空港到着がPM5時半。11時間50分のフライトで時差は7時間。
空港に着いたとたんに、3月から4月上旬の肌寒さ。しかしこれほどとは思わず、トランクには夏服しか入れてこなかった。あるものを3枚も4枚も重ね着をして闊歩すれども、帰国するまでひんやりとした風に吹き上げられていた身は、埃を避けてうつむき加減だったかもしれない。

もう4回目の巴里だ。空港から、エールフランスのバスでモンパルナス行きの終点で降りると、目の前がメリディアンホテル。ロビーに入ると温かくて広いロビーのコーナーの一隅から、ピアノとジャズボーカルが柔らかく響いていた。ほ〜〜っとした瞬間だ。
すでに夕方の7時にならんとする時刻にもかかわらず、外は3時から4時ぐらいの日射し。9時くらいまでは明るいという。それじゃあと、近くのスーパーマーケットへ。どこの国へ行っても到着時には、これが一番楽しい。豊富な食品にキョロキョロと目移りするのを我慢して、飲み物、果物、チーズのみを買ってホテルへ。スーパーの様子は、「DAYbayDAY」のコーナー「6月のトピックス」に記載した。
巴里のマパルトマンなるものは実際、どのようになってるのだろうと予てから気になっていたのだが、後日、モンパルナスタワーの56階から眺めてみて概容を見ることが出来た。各ブロックの中には綺麗な中庭があり、外からは複数の住人の出入りする大きな扉以外、何処からも入れない。小道を歩いていると、住人が出入りした瞬間とか、希にその扉が開け放たれている場合に、チラッと横見してみると、グリーンの芝のある奥に開けたスペースが見える。
従って、引っ越しなどは大変のよう。5階からクレーン車で荷物を降ろしているところに行き当たった。5人以上の人が作業をする大仕事だ。

街のコーナーには、デンと大きなグリーンの異物が・・・。よく見るとゴミ箱だった。ゴムパッキングで塞がれた丸い口は、分別ゴミとして処分されるように配慮されている。

右の写真は、モンパルナスタワーの最上階レストラン。時間がずれて食事ができず、coffee timeにする。パリのコーヒーはどこでも、エスプレッソ。濃くて苦い。

今回は、実に頻繁に地下鉄を利用した。左はリヨン駅の前にあるメトロの入り口。右は地下鉄の車内で、目が合ってしまった男の子。見つめ合ってしまった。なぜならば、坊やの眼がウンと昔にウンと親しかった男友達の瞳によく似ていたから(笑)。勿論、友人は日本人なり。

街中を歩いていると、何処からか生演奏が聞こえてくる。しかも合唱付きだ。音の方へ行ってみると、教会の広場で楽隊と合唱団とダンス・・。色とりどりのスカートや足が、アコーデオンやバイオリンのメロディーに乗って飛び交う。取り囲んで見ている人も、勿論、踊っている人も楽しそう。21日は、音楽の日だったのだ。観衆の中に素敵なおばあさんを見つけた。何やら真剣に話していますね。

あちらこちらに公園があり、子ども達が遊ぶ姿がよく見られる。ロバに乗せられた子どもは、おっかなびっくりかな?

巴里滞在中のハイライトのひとつは、バスチィーユでオペラ「オテロ」を見ること。本当は、ガルニエで「フィガロの結婚」をと期待したのだけれど、このチケットに限り購入できないとのことだった。
劇場の機能性として、最高のシステムを取り入れたバスチィーユは、おおいに楽しめた。何と言っても、前から4列目の真ん中だ。指揮者James Conlonの表情も手に取るように解る。テノールのオテロは、Vladimir Galouzine。イアーゴ役のバリトンのJean Philippeも素晴らしかった。ソプラノは、Cristina Gallardor。デステモーナ役の彼女は、東洋の血が入っている顔立ち。伸びがあってしっとりとしたソプラノは安定していた。それにしても、カシオ役のテノールJonas Kaufmannはステキだった!一目惚れ。

「ベルサイユ宮殿」とは、大昔から耳にしていたけれど一度行ってみようか、という気持ちになって出かけたのだ。地図で、どの方法が一番手っ取り早いか・・・。地下高速電車で1時間くらいで彼の地へ。予想してはいたが、あまりにも広いのと人が多いのには驚かされる。何処の観光スポットへ行っても、中国人が多い。日本人かな?と思うと韓国人だ。
何度も行くところじゃないから、宿題を片づけたようで訪ねて良かったと思う。

「ミュージィ ジャコメッティ アンドレ」と、「マルモッタン美術館」。何れも、個人の屋敷をそのまま美術館として、所蔵の作品を展示してある。「ルーブル美術館」や「オルセー」と違って、ひっそりとしながらもそれぞれの個性が感じられ、いずれも素晴らしいものだった。

アンドレ氏と画家であった妻のコレクションは、屋敷とともに必見の値打ちがある。この豪華絢爛たる部屋で、パーティーが催されるらしく、シェフや担当者がセッティングをしていた。日本じゃ考えられないですね。いったいどんなパーティーなんだろう?と言いつつ、ベランダでお茶をしながら歩き疲れた足を休める。

マルモッタン美術館は折しも、日本で美術展が開催されていたので馴染みがある。ブルゴーニュの森のそばにある瀟洒な佇まいは、我々を静かに迎えてくれた。モネのsunriseに一際惹きつけられ、撮影した。撮影禁止だと途中で注意されたが、撮ってしまってごめんなさい、ということに・・・。

ホテルのコンシェルジェに、ソルボンヌ大学へ行くには、地下鉄を何処で降りるのか、と、ロダン美術館へは?と、確かめ尋ねる。 ちょうど、モンパルナスを頂点に三角形の二つの先端に位置するので、ソルボンヌから戻ってまた、出かけ直すことにした。

ソルボンヌの礼拝堂は、内部がかなり朽ちていて、天井から小石が落ちてきても怪我がないよう網が張り巡らされていた。展示されていたジオットの壁画は、勿論レプリカ。しかし、登場人物がどれも表情豊かで面白かった。この辺りの街の雰囲気は落ち着いていてとても良い。

ロダン美術館は、以前から行きたいと思いつつ、なかなか機会がなかったので、思いが叶ったというところだろうか。最初に地獄の門に迎えられる。日本語の解説ホーンを借りたので、内容がよく理解できた。
意外なことに、ロダンの蒐集であった、ゴッホの「タンギーじいさん」の油彩画が壁に掛けてあったのだ。暫し、見とれる。ロダンの苦渋に満ちた人生とともに。

「DAYbyDAY」にも書いたが、帰国前日のディナーは、ホテル内の「モンパルナス25」で、本当のフランス料理とは如何なるものや・・・と、期待して、そして、堪能した。量がたっぷりで、食べきれなかったことが残念だったけれど。
舌平目もラムも上品。シャンパンはしっかりとした味わい。途中で、120種以上のチーズが載せられたテーブルがソムリエとともにでてきたのには驚いた。その頃にはもう、お腹は飽和状態で食することが出来ない。でも、デザートはいただきましたね。二つのグラスにパンコッタが二種、焼き菓子、そしてチョコレートの数々・・・エトセトラ。結局、ドギィバックにすることをお願いする。

昨年のリスボンの時のような事件や事故がなく、何はともあれ無事に帰って来られたことは有り難い。
巴里市内の美術館では、入場するのに荷物検査があり、場合によっては中を覗かれた。が、空港のフリーさは、いったい何だろう。出国に際して、トランクはフリーパスだった。
左の写真は、シャルルドゴール空港内を迷彩服の警官が銃らしきものをもって歩いていた。後ろは女性だ。
右は、関空。帰国者の麻薬取り締まりのために、大きな犬が何度も乗客の間をする抜けていた。操るのはこれも、女性。突然、男性の職員が撮影禁止だと言って飛んできたので、ここには特定できない失敗した写真を記載した。

中程の写真は、シャルルドゴール空港内の航空会社が格安チケットをセールしていた。アムステルダム、ポルト、ベニスへここから1万円くらいで行ける? いいなぁ・・・と言いつつ、また、次の旅を思い描いているのだった。


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