私的資料補説

大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」
15.大河ドラマ「江」を3倍楽しむ講座
第3回講座が4月2日に実施され、その感動さめやらぬ翌日、この記事を書き上げました。ところが、アップするには少々早すぎるので間を空けようと・・・考えたまではよかったのですが、壊れてしまいました。

もう一度、書き直しです。
いやだなあ・・・と、思っても、ダブルで保存してない自分が悪いので文句の言いようがありません。

今回も、太田参事の熱弁ぶりは、とどまるところを知りません。1時半から始まり、終了は4時15分、なんと3時間になんなんとする大講演会でした。

ちょっと、熱が冷めて・・・・・ですが、今回も、特に興味深かった点について独断的にごく一つまみだけ、ご紹介したいと思います。

当時の社会状況を誰に組することもなく冷静かつ客観的に、しかも外国人の好奇の目で活写している宣教師の記録なり書簡は、そのまま外国で保存されてきた点もふまえて、一級の史料としての価値があるように思えます。ただ、宣教師自身の布教活動の成果についての記述には、かなりの粉飾があると思われますが・・・・・。

そのルイス・フロイスが、当時の長浜人について見事に書き残しています。
・長浜へ着くと、3、4千人が取り巻き、ついてきて歓声をあげたり、服装を笑ったりしたこと。
・案内人が宿泊する家を間違え、探しながら町を大分歩いたこと。(ほんとにリアルです。)
・連れて行った黒人の奴隷を、一目見ようと3、4回扉を破って群衆が入ってきたこと。
・夜の10時になっても帰らず、屋根に登って上から見る者もいたこと。
・山間を進むと、人の丈を越える雪を見たこと。
異国の人に異常なほど興味を示している好奇心一杯の長浜人の姿が描かれています。

また、佳人の誉れ高い秀吉の側室、松の丸殿京極龍子に、太田参事は以前からぞっこんのようで、今回の配役鈴木砂羽に納得されているのかいないのか、微妙なところでした。彼女の台詞、サラッと「私、秀吉様の側室ですの。」と、言ってのけたのには、さすがの講師先生もカチンと来たようでたいへんに不満げなご様子でした。

賤ケ岳の七本槍が、最初から7人いたのではなく、最終的に7人になったこと。追撃戦で、後ろから追っかけた戦いだったこと。どちらか動いた方が負けるのは兵法の定石で、帝国軍人も戦史に学ぶ姿勢が欠けていたのではないかなど、興味あるお話を拝聴した次第です。



大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」
16.樹里とりえとトイレと
小谷本陣の語り部、Hさんからうかがった話です。

大河ドラマ「江」の撮影が小谷城で行われたのは、残暑厳しい昨年の9月でした。さすが、50作記念大河、NHKも滅多にしたことのないという現地ロケでした。

通常は琵琶湖の見えない城跡ですが、地元も樹木を伐採しての大サービス、「あれが、びわのうみです。」と、時任三郎が鈴木保奈美に指し示す名シーンが実現しました。

この撮影を地元の人たちも見たかったのですが、関係者以外の立ち入りが制限されていました。

しかし、頭のいい人がいたもので、「山上にはトイレがないので、ここで待っていたら、途中で絶対に誰かこのトイレにやってくる。」と、考えたそうです。そこで、みんなで待っていたといいます。

その予言的中、なんと上野樹里さんと宮沢りえさんがやってきたのです。

ロープで仕切られ少し離れた場所からでしたが、みんなで「樹里さーーん」と、声をかけたら、手を振って笑顔で応えてくれたそうです。今度は、「りえさーーん」と、声をかけると、全然みんなの方を見向きもせずにトイレをすませて帰って行ったといいます。

みんなで、「やっぱり、りえはねーーーーー。」と、話し合ったといいます。

後日、NHKの関係者にその話をされたら、こんな返事が返ってきたそうです。

「さあーーー、どうでしょう。宮沢りえぐらいの大女優になると、撮影中に創った表情は、そんな簡単に崩すものではないんじゃないですか。」


信じる?信じない?
うーーん、深い話ですね。


HP「江たち三姉妹とお市物語」
17.このHP立ち上げの言い訳?
大河ドラマ「江」の放映を半年後に控えた昨年5月、「あざい歴史の会」の役員会が開かれました。その席で、こんな時代だからと、HP立ち上げの提案をしました。

素人ですから、簡単にこの館で作るものと思っていたのですが、長浜城からお越しのO参事が、「大事です。案を作ってください。こちらで作ります。」とのことで、一安心というところでした。

ところが、催促に催促を重ねても、2ヶ月たっても、3ヶ月たっても、4ヶ月たっても、出来ませんでした。大河関連の博覧会が3会場で開催されるニュースが入り、当館は別であることも決まり、当館の全面的改装が進み、あと1ヶ月になってもHPは作られませんでした。その間、催促はするけれど、もし作っていただいていると失礼とばかりに、むなしく検索を続けるばかりでした。

そして、12月になりとうとう当方も爆発、何とかと迫って、やっと12/22にアップしていただきました。ところが、改装前の内容で博覧会期間中全日オープンなのに月曜日休館とあったり悲しい内容でした。

当初、外部発注での制作と勝手に思っていたのですが、予算もなく、堪能な職員もおられるのでどうやら職員さんに依頼されていたようです。そりゃ、多忙な部下職員さんには、無理なことだったと思います。ただでさえ忙しい博覧会前に、上司からHPを作れ、辛かったことと思います。今から、思うと同情しきりです。本当に、申し分けなく思っています。

その後、O参事に修正を申し上げても苦しそうな表情で、これは駄目だと判断しました。そこで、応援サイトといった形で個人的なHPを・・・と、思い立った次第です。

O参事にも、応援サイトという形で作るので・・・と依頼、資料写真の使用許可申請を出していただいたらOKということで、作り出した次第です。

何年か前教育委員会時代、ITアドバイザーの作ってくれたHPに書き込んでいたことはあったのですが、初めから作るなんてことは、全くの初体験でした。しかも、認知症寸前の高齢者、図書館で何冊もマニュアルを借りての制作でした。

以上、簡単に言うと、嬉しそうに作っているけれど、こんな事情でやむなく作っているんですよという言い訳を書かせていただいた次第です。