私的資料補説
「お市と三姉妹大年表」
23.女性の生き方、三通り
茶々、初、江の生き方は、まさに人間の生き方の典型的な3パターンとも考えられます。

来館の皆様に、「貴女は、三姫のどの生き方を希望されますか?」と、尋ねることがあります。

長女の「茶々」は、一気に天下人の世継ぎの母として上り詰め、秀吉亡き後の豊臣家、大阪城を守り、徳川幕府に抵抗し秀頼とともに炎の中に身を投じます。本当の心の内は分かりませんが、女の一生としてこれ以上ない華やかなものであったことは誰も否定することは出来ません。

次女の「初」の場合は、どうでしょうか。平穏無事に一生を過ごしたというのは、旦那のこともあり、大津落城のこともあり、いささか気が引けます。でも、姉、妹と比較すると、室町幕府の四職の家柄からの流れをくみ現代まで続く名門京極家の正室であり、長生きもしてやはり穏やかな人生だったように思います。

さて、三女の「江」は、二度の結婚に失敗して(別に、江のせいではないですけど)、バツ2で徳川家へ嫁ぐという波瀾万丈の人生を送ります。おかげで、NHK大河ドラマ50回記念作に、坂本龍馬を押しのけ、堂々登場ということになりました。バツ2の悲しい人生前半に比して、旦那が2代将軍になり姉さん女房でかかあ天下、息子も3代将軍になり、4人の娘はそれぞれ徳川家の名に恥じない名家へ嫁ぎと、順調です。その上、末子の和子は嫌がられながらも天皇家へ入内します。

言い換えますと、
@茶々は、人生を華々しく生き、燃え、爆発するような生き方、
A初は、良くもなく悪くもなくほどほどの(このほどほどは少々立派すぎますが・・・)人生、
B江は、はじめは不幸続きで、後半幸せになる人生(ホントに幸せだったかは??24.江の憂鬱で)
と、いうことになります。

誰もが、「江」の生き方を願うものかと思えば、「茶々」の生き方もいいですねえ・・・といおっしゃる方もおられて、まさに人生いろいろといったところでしょうか。



「お市と三姉妹大年表」
24.江さんの憂鬱
江さんと書くと、一瞬、誰かいな?と、自分でさえ思いました。徳川2代将軍秀忠の正室「江」「小督」「お江与」「達子」のことです。

2度にわたる結婚の破綻という前半生の不幸を、3度目の結婚で、一気に振り払ったかの感がある「江」ですが、果たして、そんなに幸せ一杯のシンデレラストーリーとなったのでしょうか。

長女「千姫」は、7歳にして秀頼に嫁ぎますが、大阪落城のうきめに出会います。
次女「珠姫」は、前田利家の子利常と結婚、前田百万石の基盤を築きますが、若死します。
三女「勝姫」は、福井藩主松平忠直に嫁しますが、夫が行状不行き届きにより家光により改易処分を受けます。
四女「初姫」は、子の無かった「初」の養子になり京極忠高に嫁しますが、その夫婦仲は極めてかったと伝わっています。
五女「和子」は、後水尾天皇のもとに入内しますが、もともと、望まなかった朝廷であり何かと嫌がらせを受け、2人の皇子も夭折します。孫の興子は明正天皇となりますが、女帝を理由に独身を通させ、人にも遇わせず旅にも出させなかったといわれています。(入内は、江の死後であり、江はその喜びも悲しみも知らなかったことになりますが・・・。)

長男「家光」は、3代将軍になり、「江」は徳川15代中将軍を生んだ唯一の御台所となりますが、「春日局」の登場で話は極端に怪しくなります。おまけに、家光は、家康の子という話まで出て・・・。
次男「忠長」については、「江」が溺愛しすぎ、江は家康から27ケ条にわたる訓戒状を与えられています。その上、江の死後ですが、忠長の所行は常軌を逸し所領を没収され自害を命じられることになります。

最後のとどめは、「江」自身の突然の死についてです。後水尾天皇の二条城行幸のため夫秀忠、息子家光、忠長たちが半月近い上洛中に、危篤の知らせを受けます。誰も臨終に間に合った者はいなかったのです。「江」は、東京タワーの真下にある増上寺の境内に葬られていますが、徳川家一族の中で、たった一人だけ火葬にされています。その不自然さもあり毒殺説もあるそうですが、今もその死は謎に包まれたままとなっています。

さあ、大河ドラマ「江」の最終回、「江」はどんな表情で、どんな言葉を残し、この世を(いや、ブラウン管を、いや液晶画面を)去るのでしょうか。

講演会での「田淵久美子」さんも、NHKプロデューサー「屋敷陽太郎」さんも、当然ながら何も語ってくれませんでした。