NHK大河ドラマ 江 姫たちの戦国 浅井三姉妹のふるさと 長浜・浅井 C
お江が嫁いだ佐治一成は、知多・大野城主で大野水軍を率いていたので、秀吉が味方に
するためにしくんだものといわれています。しかし、秀吉と織田信雄(のぶかつ)・徳川家康が
小牧長久手の戦いを起こすと、佐治一成は織田・徳川軍の方につきます。いとこである信長
の2男・信雄につくのは当然ことでしょう。(ちなみに、お江と一成はいとこです。) 戦いは、
家康有利に進んだのですが、信雄の領地であった伊賀・伊勢が攻められたため、信雄は和
睦に応じてしまいます。お江は、秀吉によって大阪城に戻され離縁させられてしまいます。
1585年7月、秀吉は関白に就き豊臣秀吉と姓を改めます。
1587年、お初が京極高次と結婚します。高次は、鎌倉時代から北近江を治めてきた京極氏
の流れをくんでいる。お初と高次もいとこ同士です。(浅井長政の姉である京極マリアが母)
京極竜子(高次の妹)が秀吉の側室になっており、京極家を盛り立てるために結ばれた縁組
みといえます。このとき高次は、高島市の大溝城主でした。
ちなみに、京極氏は鎌倉時代の守護・近江源氏の佐々木信綱の子孫です。鎌倉時代末か
ら室町時代初めにかけて活躍した佐々木高氏(京極道誉)が婆娑羅(ばさら)大名として有名
です。後醍醐天皇や足利尊氏と深く関わる人物ですから、そのころの歴史を調べてみるのも
おもしろいです。京極氏ゆかりの史跡は、となりの米原市にいくつかあります。
そして、1588年には、茶々が秀吉の側室になり子を身ごもります。喜んだ秀吉は、産所とし
て淀城を築かせ茶々に与えたので、茶々は淀君(よどぎみ)と呼ばれるようになります。翌年
拾(鶴松)が生まれますが、その時に淀君は高野山持明院へ父母の肖像画を納めています。
浅井三姉妹の長女としての思いを感じ取ることが出来ます。
1590年、秀吉は小田原城を攻めて北条氏を滅ぼし全国統一をはたします。秀吉の絶頂期
です。
高野山持明院に納められた肖像画 | ||||
![]() 浅井長政 |
![]() お市の方 |
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