NHK大河ドラマ  姫たちの戦国 浅井三姉妹のふるさと 長浜・浅井 B


 浅井氏が滅んだ後、お市と三人の娘たちは、信長の弟の信包(のぶかた)の領地であった伊勢
上野で10年近い歳月を過ごします。現在の三重県鈴鹿市と津市の中間あたりです。その間に、
織田信長は、安土に城を築き天下統一に向けて着々と勢力を伸ばしていきました。ここ長浜では、
羽柴秀吉が長浜城を築いて町づくりを進めました。石田三成はその頃に秀吉の家来となりました。
大原の観音寺で休憩したときに、お茶の出し方に気配りがあって秀吉の目に留まったと言われて
います。安土城に長浜城、そして明智光秀の大津の坂本城を結んで湖上交通も栄えました。

 1582年に本能寺の変が起こります。明智光秀の裏切りにより信長は死にますが、備中高松城
の水攻めをしていた秀吉が、すぐさま山アの戦いで光秀を討ちます。信長の死後、織田家の後継
ぎをめぐって秀吉と柴田勝家が対立します。この状況下にあって、お市は柴田勝家と再婚します。
亡き夫を自害させた秀吉を快く思っていなかったからお市は勝家を選んだのか、秀吉が、柴田勝
家や織田家の機嫌を取るために結婚を進めたのか興味深いところです。こうしてお市と三姉妹は
越前北の庄に移り住みました。
 しかし、翌1583年には賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、夫の勝家とお市は自害します。その時の
お市の辞世の句は、「さらぬだに打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎす」です。
お市37歳でした。茶々は15歳、初は14歳、江は11歳で両親共を亡くしたことになります。

 逃れた三姉妹は、長政の姉の昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)のいた実宰院に身を寄せた
といわれています。実宰院は旧浅井町の長浜市平塚町にあります。しかし、ここでの生活は長くあ
りませんでした。
 天正12年(1584年)に、お江は12歳の若さで佐治一成のもとへ嫁いでいます。

長浜城
昭和58年に長浜城歴史資料博物
館として再建された長浜城

 「浅井三代と三姉妹」の特別企画
展が開催されています。
豊公園に残る長浜城址の石垣


湖岸に残る太閤井戸の跡
 琵琶湖に浮かぶ
 浅井長政ゆかり
 の竹生島

 ドラマの中では信長
 と江が訪れましたが
 実際はどうだったで
 しょうか。

実宰院
  三姉妹が身を寄せたのは小谷城落城の時とも、柴田勝家・お市の
 亡くなった後ともいわれています。このお寺は、小谷城の南に位置
 する浅井の小さな集落の中にあります。
 雪の残るこの日も、タクシーで歴史好きな方が訪れていました。
 門の北側に、由来の看板 がありました。

学習の部屋へ戻る

浅井中学校TOPに戻る