NHK大河ドラマ 江 姫たちの戦国 浅井三姉妹のふるさと 長浜・浅井 @
虎御前山から見た浅井
遠くに見えるのが伊吹山
義に生きた戦国の雄 浅井長政 が治めた領地が湖北地方です。その中心が小谷城です。
そして、小谷城の南に広がる豊かな田園地帯が長浜市の旧浅井町です。浅井中学校の校区と
なっています。
鎌倉時代に近江を支配していたのは近江源氏の佐々木氏です。その佐々木氏は、のちに京
極氏・六角氏・大原氏・高島氏に分かれて支配します。湖北を支配した京極氏の中では、鎌倉
時代末期から室町時代はじめにかけて活躍した京極道誉がよく知られています。その京極氏
も、戦国時代の半ばから勢力が衰えてきて、下剋上の時代にかわって湖北を支配したのが、
亮政・久政・長政の浅井氏三代です。
浅井長政 は、1545年に生まれました。父、久政の時代には南近江を支配していた六角氏
に臣従していましたが、15歳で元服した長政は、力を伸ばして勢力を拡大し北近江を治める戦
国大名になりました。1560年、桶狭間の戦いで今川義元を破った織田信長が勢力を拡大し
ていく時期と重なります。その信長は、美濃の斎藤氏を牽制するため、浅井氏と同盟を結びます。
そして、浅井三姉妹の歴史はここから始まります。
戦国時代末期の1967年、織田信長の妹 お市の方 が浅井長政のもと
へ嫁いできます。政略結婚とはいえ、長政とお市の夫婦仲はとても良かった
と言われています。戦国一の美女といわれるお市の方は、長女の茶々、次女
の初を産みます。長政との幸せな日々が送られていたことでしょう。
しかし、京都に入った織田信長が、琵琶湖の西を通って越前の朝倉攻めを
行ったことにより浅井家の運命が大きく動いていきます。昔から同盟関係に
あったのが浅井氏と朝倉氏です。
その浅井氏に何のことわりもなく、信長が朝倉攻めをおこなったため、浅井氏は、朝倉氏に味方
して、信長を攻めることにしました。北からの朝倉氏と南からの浅井氏に挟まれることになった織
田軍は、金ヶ崎の戦いでしんがりをつとめた木下籐吉郎や明智光秀などの活躍により無事に京
都に逃げ帰れたのです。
元亀元年(1570年)、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が衝突する姉川の戦いが起こります。浅井
軍は、織田軍の陣地深くまで攻め入りますが、徳川軍の活躍などがあって、この戦いに敗れてし
まいます。しかし、浅井氏は一気に滅びたわけではありません。翌年の1571年から、信長は、
姉川の南に位置する横山城に陣を置いて、浅井長政を攻めますが、信長は、石山本願寺や比叡
山延暦寺などを敵に回しており苦戦しています。この時に浅井氏と連携して信長に対抗したのが
湖北の一向一揆です。地元の内保町にある誓願寺をはじめ10ヶ寺が力を合わせて、信長の勢
力に立ち向かっています。
このような状況の中にあって、お市はお江を身ごもります。天正元年(1573年)、虎御前山に
陣取った信長が、小谷城に総攻撃を仕掛けます。清水谷から攻め入った秀吉が、京極丸や小丸
を落とし、お市と三人の姉妹を連れだしたといわれています。長政は赤尾屋敷で自害しています。
先に逃がした嫡男の万福丸は、見つけだされて関ヶ原で処刑されました。
長政は、共に死ぬ覚悟だったお市をいさめ、お市に幼い娘三人の行く末を頼みました。この時、
茶々5歳、初4歳、江1歳です。
その後、この地を治めた木下籐吉郎が、羽柴秀吉と名を改めて、小谷城から琵琶湖畔に城を移
し長浜城を築きました。小谷山の麓にいた郡上や伊部の職人たちも長浜に移され城下町がつくら
れていきました。
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