ゴラン高原について
今回はゴラン高原について紹介したいと思います。JICA関係者がゴラン高原内にあるクネイトラ県出身で、今回特別にそこへの観光ツアーを企画してもらえたので参加しました。普段は気軽に個人で観光できるところではありません。
もともとゴラン高原はシリアの領土です。乾燥地帯の中東のなかで、ゴラン高原は一年を通して水が豊富な地域です。そのため昔から隣国イスラエルとの間でこの地をめぐる戦争が繰り返されてきました。そして1974年のイスラエル撤退の際に爆撃されたのがゴラン高原内にあるクネイトラ県です。家だけでなく、学校やモスク、病院までも、建物という建物を全て破壊していきました。シリアは「イスラエルの残虐行為の記録」とし、修復・整備することなく残しています。だからどこを見てもがれきの山でした。数少ない残った建物の一つに病院があり、見学させてもらいました。外壁のおびただしい銃弾の跡がとても恐ろしかったです。
今もなお、一部をイスラエルは占領していて、イスラエルとシリアの間に国連兵力引き離し監視隊が入り、この地を監視しています。有刺鉄線がずっと引かれていて「その向こうは国連の監視地域だし、まだ地雷が埋まっているから危険だよ」と言われました。
「戦争」が過去のことでも遠い国のことでもなく、こうして目の前に存在しているという現実を突き付けられました。
そして今、私が活動している学校の生徒たちもイスラエルから避難してきたといえるパレスチナ難民の子どもたちです。
こう見ると、イスラエルはなんて酷い国なんだ!と思えますが、イスラエルにも悲しい過去があります。イスラエルは建国にはユダヤ人自身が置かれていた迫害の歴史、特にナチによる大量虐殺の経験を踏み、ようやく建国したという背景があります。それゆえ今まですべてのことに国防が優先されることに対しイスラエルの人々は当然のこととしてきました。時にはそれが過剰防衛となり、他から見ると侵略に過ぎないようなこともありました。だからと言って許されるわけではありませんが、とてつもなく長い時間をかけて複雑な事情を抱えているのだということだけは感じました。
全ての人が安心して暮らせる世界、とても難しいことだけど願わずにはいられません。
(2009,10/4 大島)